人と水、基幹産業のみかんの木を失ったまちの復興~宇和島市長が振り返る「この1年」

愛媛県の南西部に位置する宇和島市。みかんの産地として知られる愛媛県の中でも特に多くの出荷量を誇る。他にも真珠やじゃこ天、かまぼこなどの特産品が有名だ。

平成30年7月豪雨では、土砂崩れなどにより13名の尊い命が失われた。家屋の浸水被害の他、一部地域が断水に見舞われ、基幹産業であるみかんの園地、みかん栽培に必要不可欠なモノレールやスプリンクラーなどの農業用設備にも甚大な被害が出た。多くの方々からの支援をいただきながら、懸命に復興に取り組んできたこの一年を、岡原文彰市長に語ってもらった。

宇和島市 岡原文彰市長

──発災直後はどのような状況でしたか。

いつかは必ず来るといわれている災害、「南海トラフ地震」。愛媛県内でも長い海岸線を誇る当市では、沿岸部で暮らす人たちに、地震が起きた時にどのような避難をしてもらうか、津波の到達予想など、特に地震対策にフォーカスしていたように思います。

しかし昨年、7月5日から断続的に雨が降り続き、7日の早朝には、まさに「バケツをひっくり返した」という表現そのままの激しい雨が当市を襲い、至るところで土砂災害が発生しました。その夜、私も消防団長と一緒に最も被害の大きかった吉田地区へ赴き、圧倒的な災害のエネルギーに言葉を失いました……。

この災害により、土砂崩れなどによる直接死で11名、関連死で2名、計13名のかけがえのない命を失いました。さらには、吉田・三間地区に上水道を供給していた吉田浄水場が土石流の被害に遭い、両地区への浄水機能を完全に失いました。我々はかけがえのない命と、命をつなぐ水を同時に失ったのです。

 

──浄水場が使用不能。酷暑の中で断水状態だったのですね。

吉田浄水場の被災により、両地区に暮らす約6,500世帯・15,000人の方々が思い通りに水を得られない苦しい生活を強いられました。多くの問題が山積する中でも、この断水の解消を最優先事項として認識しておりましたが、吉田浄水場の被災状況は壊滅的であり、両地区にそれぞれ新たな代替浄水施設を設置することを決断し、こうして断水解消に向けての取り組みがスタートしました。

代替浄水施設(画像提供:宇和島市)

その中で非常にありがたかったのは、酷暑の中、被災された市民の皆さんはもちろん、給水ボランティアや自治会の皆さん、民生委員などが協力して給水活動にあたるなど、まさに一丸となって助けあい「断水」という苦しい時間を支えてくださったことでありました。

それでも、時間の経過とともに「水道の復旧には1年、いや2年以上かかるのでは」と不安の声もささやかれるようになりました。この絶望を希望へとつなげるために、国や県、自衛隊をはじめ、各関係団体から並々ならぬ支援をいただきました。特に、東京都からは、オリンピックのために発注していた大型のろ過器を提供していただき、早期の通水に向けた大きなきっかけとなりました。また、本来この機器の輸送には通行許可などの関係で長期間を要するところ、自衛隊の輸送隊に手を挙げていただき、わずか2日で当市まで輸送していただきました。さらには、一般企業の皆様方にも急ピッチで工事に取り組んでいただいた結果、三間地区は8月3日、吉田地区では8月4日に通水を迎えることができました。

この時点では生活用水としての利用しかできませんでしたが、発災後1ヵ月以内に通水できたことは、各関係団体の皆様、そして何よりも、過酷な状況の中ずっと我慢をし続けてくださった市民の皆様のご理解とご協力があったからこそ成し遂げることができた結果であり、この場をお借りして改めて心から深く感謝いたします。その後引き続きのご支援のおかげもあり、吉田地区は8月10日に、三間地区は水質の関係でそれから1ヵ月程度時間を要しましたが、9月12日に水の「安全宣言」を出すことができました。

給水支援(画像提供:宇和島市)

──農業、とりわけかんきつ類の被害について教えてください。

みかん園地のほとんどが急傾斜地のため、運搬などが困難な場所には通称「みかんモノレール」と呼ばれる農業用モノレールが敷設され、水や農薬の散布にはスプリンクラーが設置されています。

流れた土砂は、みかんの木だけではなく、みかんモノレールやスプリンクラーなどの農業用設備も一緒に押し流しました。苗木が実を付け収益を得られるまで数年かかるといわれていますから、かんきつ農家さんの営農意欲が失われてしまうことを、かんきつ産地として一番恐れていました。

まずは生き残ったみかんを出荷し、今後につないでいくこと。農家の皆さんは、全国から集まったボランティアに協力をいただきながら、みかんモノレールが使えないところは手作業で、農道がなくなり車が入れなくなったところは歩いて、作業を続けました。その結果、多くの甘くておいしいみかんを収穫することができ、東京など全国で「復興応援フェア」などを開催して高評価を得ることができました。

さらには、この災害を機に若手後継者らが集まり「玉津柑橘倶楽部」を立ち上げ活動を始めるなど、明るいニュースも少しずつ飛び込むようになっていきました。

みかんボランティア(画像提供:宇和島市)
玉津柑橘倶楽部のポスターは市役所内にも掲出されている。

──災害発生から1年が経ちました。今後の見通しについて教えてください。

かんきつ類の園地復興については、今後もスプリンクラーやみかんモノレールなど農業用設備の整備に力を入れるとともに、「長く営農することのできる園地を目指そう」と農地整備に着手しようとしています。繰り返しにはなりますが、かんきつ産業はこの地域の基幹産業であり、今後新たな課題が立ちはだかったとしても、引き続き農家の皆さんの営農意欲が失われないよう、一つひとつ着実に課題解決に向けたサポートをしていきたいと思います。

 

──宇和島市に対して、多くの支援が寄せられました。

姉妹都市の仙台市や大崎市、千曲市や当別町をはじめ、国や関西広域連合からの対口支援により、多くの自治体からのお力添えもいただきました。県内からも、カウンターパートの第一次支援として新居浜市から、第二次支援として松前町や松山市、伊方町からもご支援いただきました。今もなお、多くの自治体から職員を派遣いただき復興に向けた活動に従事していただくなど、感謝の言葉に尽きません。今、私たちがお世話になった方々へできることは、当市の明るいニュースを届け続けていくことだと確信しています。そのためにも、一歩一歩着実に復興に向けて歩み続けていきたいと考えています。

全国から届いた支援の寄せ書き。(画像提供:宇和島市)

 

いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)

「いまできること – 平成30年7月 豪雨」Webサイトでは、宇和島市の特設ページを開設し、復興に向けた地元の取り組みを紹介しています。
宇和島市 | いまできること – 平成30年7月 豪雨

「平成30年7月豪雨から一年 復興二年目のいまできること」特集ページ

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