「踏みとどまれる社会を」

京アニ事件きっかけに考える 龍谷大教授インタビュー

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京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオ=左は8月8日、右は提供写真、7月18日の火災当時

 35人の死者と数多くの負傷者を出した京都アニメーション放火殺人。青葉真司容疑者(41)は全身やけどの重症で、取り調べに応じられるようになるのは相当先になりそうだ。刑務所を出た後、さいたま市のアパートで暮らしていた容疑者。数日前の近隣住民との騒音をめぐるトラブルが分かっているが、市は個人情報保護を理由に、生活保護の受給や精神障害者保健福祉手帳の交付状況などを明らかにせず、出所後の生活ぶりはほとんど分かっていない。情報が限られる中で龍谷大矯正・保護総合センター(京都市伏見区)の浜井浩一センター長がインタビュー取材に応じ、あくまでも原則論であると断った上で再犯を防ぐ社会のあり方などについて語った。(構成/共同通信=大阪社会部・真下周)

 ―青葉容疑者は2012年に茨城県でコンビニ強盗事件を引き起こし、3年6カ月の受刑生活を栃木県の刑務所で送った。精神障害があると診断されたこともあり、出所時には地域生活定着支援センター(定着)が関与して「特別調整」の対象となった。

 特別調整は、刑務所を出たものの、社会に帰る場所がなく何も支援がなければ再犯する可能性の高い高齢、障害を持つ受刑者に必要な福祉的支援を行うことで社会復帰を促進し、結果として再犯を防止するために作られた制度です。あくまでも出所時に地域社会につなげる仕事であり、今回は特別調整から3年ほど経過しているとみられ、支援後の地域での生活の問題が大きいはずです。つまり刑務所から、定着を経由した地域移行、地域での生活再建ができたかどうかがポイントとなります。

 また定着は、支援の難しいケースを断ることもできます。軽微な犯罪を繰り返す比較的更生が容易な高齢者や知的障害者だけを支援していれば、今回のような事件に関与して、批判されることもありません。特別調整は、あくまでも本人の同意によって行われる福祉的な支援で、刑事司法が行う強制的な措置や処分ではありませんから。ただ、定着が低リスクのケースだけを受け入れていたのでは、本当に再犯リスクの高い人に必要な支援が届かなくなってしまいます。

 これまでの特別調整の実績を見ると、何もしなければ再犯に至る可能性の高い難しいケースを数多く受けており、再犯率もかなり低く抑えられています。まずは、そこをきちんと評価すべきでしょう。特別調整からかなり時間がたっているとはいえ、かつてその対象であった者がこれほど大きな再犯をするのは今回が初めてのケースです。

 一般的には定着が関与すれば、再犯までの期間は長くなり、再犯のレベルも小さくなります。特別調整の対象者は社会的孤立から生活破綻、そして再犯というプロセスがはっきりしている人たちなので、必要な支援をするとよくなる傾向があります。

 ただ様々な理由によって社会的環境よりも本人の中に原因を抱えている人もいます。例えば受刑者の中に何らかの精神症状から妄想を持っている人がいます。彼らの中には受刑中に規律違反を繰り返す者もいます。特別調整ができるまでは、社会にとってリスクがある人ほど、何の支援もないまま刑を終えて釈放されて再犯、というケースがしばしばありました。

 受刑者による再犯ではありませんが、秋葉原無差別殺傷事件(08年)は、漠然とした不全感を抱いた末の道連れ殺人でした。大阪教育大付属池田小校内児童殺傷事件(01年)の動機にはエリート養成先へのねたみや妄想があったといわれています。

 妄想のある人でも、妄想に基づいて実際に他人に危害を加えるケースはとても稀です。ただ妄想に従って行動していると、妄想は徐々に大きくなっていくことがあります。詳しい経緯は本人が回復しなければ分かりません。いずれにしても今回は結果が重大すぎました。

 

 ―容疑者は、民間企業が運営に一部参加するPFI方式による刑務所、栃木県さくら市の喜連川社会復帰促進センターで受刑生活を送った。刑務所内でも問題行動を繰り返し懲罰房に入っていたとか、熱心に小説を書いていたという週刊誌報道もある。

 犯罪歴がそれほどなく、一般的な意味での犯罪傾向が進んでいないとの判断でこの刑務所になったのでしょう。社会復帰促進センターは、その名前の通り、環境的には他の刑務所よりは社会復帰を重視したものとなっています。ただ懲役刑に変わりはない。再犯防止のための治療を目的とした施設ではなく、あくまでも刑罰を執行する刑事施設であるため、拘禁反応や自尊感情の低下など、受刑による副作用から精神障害を悪化させる場合もあります。

 刑務所では同じ服で同じものを食べる。動作時限はすべて定められ、そこでは自由も自発的行動も許されません。人として尊重されていると思う機会はほとんどありません。日本の刑罰はそれを奪うことで反省を求めるのです。「ここに二度と戻りたいと思うな。ちゃんと懲りて反省しろ」との思想が染みついています。

 今回の事件の被疑者はこうした環境下で、小説を書くことで自尊感情を維持し、自分自身を保とうと努力していたのかもしれません。それ自体はポジティブなことですが…。一般論ですが、拘禁状態の中で、ひとりで創作したものに関しては、「すごくいいモノを書いた」と思い込んでしまう傾向があります。 

 ―浜井氏は03年に研究者に転じるまで、法務官僚として刑務所にも勤務した経験を持つ。集団処遇ができず昼夜間独居になっている受刑者らを数多く面接してきた。

 彼らは様々な理由で集団生活ができずに工場に出せないので、居室に1人で作業させます。ずっと独居房にいると拘禁反応(自由を拘束された環境下で示す人格的変化や精神症状)から普通の精神状態ではなくなっていきます。最初は普通に会話ができていたのに、数カ月たつと、妄想が確信に変わっている人もいます。私の経験でも、「絶対に競馬に勝てる方法を編み出した」と確信し、出所後は大金持ちになれると夢見ている受刑者がいました。

龍谷大矯正・保護総合センターの浜井浩一センター長

 刑務所に勤務していて一番感じたのは、強制された我慢と、そこから来るあきらめは決して人にポジティブな影響を与えないということです。

 PFI刑務所や特別調整、改善指導プログラム、就労支援など、再犯防止に向けて日本の刑務所は変わりつつあります。しかし、刑務所が懲役刑を執行する場所だという本質は何も変わっていない。刑罰としての刑務作業の強制が最大の目的である刑務所のあり方そのものが変わらなければ、再犯率はなかなか下がりません。刑務所の中と外との生活があまりにも乖離したままでは、出所者は社会に定着できず、再犯に至り、新たな被害者を出すことにもつながります。

 ノルウェーやイタリアの刑務所では、外部通勤を含めて刑務所の中での生活をできるだけ社会での生活に近づけようという努力が浸透し、再犯率を下げています。また、イタリアには判決後に刑罰の執行を監督する裁判所があります。実刑判決後に精神疾患があり、刑務所収監が本人の更生にマイナスと判断されれば、地域の保健福祉センターと協力しながら、刑務所を回避し、治療共同体や社会内で刑を執行することがありうるのです。

 もしかしたら今回のケースで事件を起こさずに済んだかもしれない可能性の一つとして、出所時の措置入院の活用が考えられます。精神障害などで特別調整の対象となるようなケースで自傷他害の恐れがある場合には、措置入院などを検討する必要があるため、刑務所長による精神保健福祉法の26条通報がなされます。

 ただ通報しても、深刻な統合失調症のようなケースを除くと、指定医による診察が実施されない場合が多いのが実情かもしれません。妄想等がありたとえ再犯リスクが高いと判断されても、治療の可能性が乏しければ措置入院の判断は難しいといわれるときもあります。私の経験でも、刑務所内での規律違反等の様子から再犯のリスクを伝え、診察に至ったものの、措置されなかったケースがありました。

 

 ―精神障害者が殺人や放火などの重大犯罪をし、刑事責任が問えないようなケースでは、池田小事件をきっかけに05年に施行された心神喪失者等医療観察法のルートに乗ることがある。指定病院での入院、通院処遇によって対象者の社会復帰を促すものだ。

 深刻な統合失調症を除き、妄想を持っている人の中には日常生活をこなし、意思疎通も問題なくできる人も多くいます。最近は、検察官も再犯防止を考慮するようになりましたが、原則は行為責任主義。刑罰は犯した行為の分だけ責任をとってもらうのが原則です。刑事責任が問えると判断し、刑罰を下せば、裁判官も検察官もあとの更生や再犯防止は、刑務所や保護観察所に任せてしまいがちです。

 あくまでも仮定の話ですが、もし前回のコンビニ強盗事件の時に妄想などの精神的な症状があったのだとすれば、弁護側が本人の精神症状や妄想の可能性を捉えて、心神喪失や耗弱について主張し、裁判官がその主張を認めれば、検察官の申し立てによって医療観察法の対象となっていた可能性も考えられます。

 精神障害者の社会復帰という観点で、日本の地域精神医療は非常に遅れているといわれています。一方、医療観察は保安処分的な性格を持ち、人権上の問題を指摘する人もいますが、司法の目が入り、枠組みがしっかりし、結果として治療体制が手厚いともいわれています。退院後も保護観察所の社会復帰調整官が責任を持ち、通院治療をサポートします。医療観察法の医療の方が、入院と地域医療が連携して、以前よりもより良い治療を受けられる矛盾した現象も指摘されています。制度として医療と司法との連携が組み込まれているのです。

 再犯防止を重視するなら、刑罰よりも医療観察が適している場合は当然あります。先に述べたようにヨーロッパでは矯正施設にいるときから社会復帰を促進します。イタリアでは精神医療の最終目的を地域での社会復帰と明確に定めています。そのため、生活を整えるためのソーシャルワーク機能が不可欠ですし、医師や看護師だけでなく福祉や教育の専門職を含めてみなで話し合い、協力して支援に取り組みます。日本の精神医療は入院や薬の処方といった医療措置(症状の改善)がメインのため、精神科医をトップにした完全なヒエラルキー構造。治療の先にあるはずの社会復帰、きちんと社会で生きていけるように、との理念があいまいなのです。司法と福祉の連携はおろか、医療と福祉との連携も心もとない状況です。

 

 ―容疑者は出所後、さいたま市内の更生保護施設を経て、1人暮らしだった。生活保護を受給し、訪問看護サービスを受けていた情報もある。住民とのトラブルでは、「こっちは余裕がねぇんだから」「失うものは何もない」と相手にすごみ、追い詰められた様子が伺える。

 住民とのトラブルは、彼の生活上の不適応を示していたのでしょう。一般的に再犯の典型的な要因は、社会の中で「居場所」と「出番」を見つけられず、自尊感情が低下し、自棄的になってしまうことです。再犯の背景には、必ず社会での生きづらさがある。今回のケースでは福祉の担当者も手を焼いていたはずです。トラブルの際に臨場した警察官や普段から見守っている医療者、行政関係者らが問題や情報を共有し、介入について話し合える体制ができていれば、どこかのタイミングで措置入院などの対応が取れたのかもしれません。児童虐待などもそうですが、周囲を困らせる人は、自分が一番困っています。しかし、そうした人ほど支援するのはとても大変。日本の制度は縦割りなので、それを福祉なら福祉と、一人の担当者が抱え込んでしまいがちです。支援する人を支援できる、支援担当者が様々な関係機関に気軽に相談でき、支えあえる体制づくりが必要です。

 日本は受刑者を温かく迎え入れる社会ではありません。悪いことをした人間は報いを受けるべき、という考えが強い。小さい時から「人に迷惑かけるな」と教え込まれていますから、なかなか「助けて」とは言えません。本人も支援者も同じです。こうした共通認識があり、(犯罪行為に)強烈な歯止めがかかりますが、一方で迷惑を掛ける人を排除する行動には歯止めはかかりません。

 身元引受先の家族が出所後の生活を丸抱えしたり、一人暮らしをしたりして、たちまち孤立が深まっていきます。自分がいつ向こう側(犯罪する側)に行ってもおかしくないという感覚を持てれば、社会にも責任があると思えるのですが、日本では犯罪が身近ではなく、なかなかそういう感覚になれない。犯罪に興味を持っても、自分の問題としては考えられにくく、別世界の話として受け止められてしまいがちです。加害者に対しては特にその傾向が強くなります。社会で虐げられた人が犯罪者になる、なんていう認識は話だけ聞かされてもなかなか持ちようもない。法律家が「犯罪者にも人権がある」と議論をすればするほど、人々は反発するだけで誰もついてきません。加害者を同じ人間とは思えないから。ただモンスターのような行為をした人も、それまでの人生ずっとモンスターだったわけではありません。

 受刑者のほとんどは、出所後も元受刑者というスティグマ(差別や偏見の対象となる属性)を負い、自己不全感を抱いています。再犯した人たちに話を聞くと、些細なことがきっかけで、やっぱり自分は社会に受け入れられない、だめな人間だと思ったときに気持ちが切れています。彼らは、孤立しがちなために、いったん気持ちが切れてしまうと、自棄的になって歯止めがきかなくなっています。逆に、自分はまだ生きていてもいいんだ、ここで役割が与えられるかも、と希望を持てたら(犯罪を)踏みとどまるものなのです。失敗しそうな人が踏みとどまれる社会をなんとか構築したいものです。幸せに生きている人は絶対にこんな事件は起こしませんから。

 

 ―平成以降最悪の放火事件となった。再犯防止の支援の枠組みが一定機能しながら起きてしまった惨事に、関係者のショックは大きい。社会も受け止めの有りようが問われる。

 よくワイドショーで、ごみ屋敷や汚物を隣家にまき散らす住民を〝迷惑人〟と
して取り上げていますよね。ですが、一番困っているのは当人だったりします。数年前、大阪府豊中市のソーシャルワーカーの女性を取り上げた番組がありました。ごみ屋敷の主人の困り事を聞いてあげて孤立を解消し、地域の理解へとつなげた。住民らが少しずつ手を差し伸べると、本人も「手伝ってくれるならがんばろうかな」と変化の兆しが表れ、解決に向けて歩み出したといいます。そうなれば問題が芽の内に摘み取れるようになります。

 今回のような事件は二度と起きてほしくない。絶対に起こさせてはいけないとみんなが思うことは大切です。このような理不尽な事件で、亡くなられた被害者やそのご家族を思うとき、私たちが被疑者に怒りを抱くのは当たり前のこと。事件を起こした責任は当然取ってもらわなければいけません。ただ、どうすれば重大な再犯を防ぐことができるのかは事実に基づいて冷静に考える必要があります。モンスターが起こした特殊な事件で片づけてしまっては何も改善しません。一度失敗した人が、社会できちんと生きていけるようにもしなければいけない。たとえ元犯罪者であったとしても、問題を抱えた人が必要な支援につながるような社会でなければならない。そうしないと再犯は防止できません。受刑者の多くは刑を終えれば社会に戻ってくるのです。人を人として扱い、モンスターにしない社会をつくる。私たちがそのことを社会として合意できるかどうかが問われているのかもしれません。 

「京都アニメーション」第1スタジオ近くの献花台にささげられた折り鶴とメッセージ

浜井浩一氏 1960年生まれ。早稲田大教育学部卒業。法務省に入省し、刑務所や保護観察所で勤務。龍谷大大学院法務研究科教授を経て、現職。犯罪統計の専門家で、更生支援や海外の刑事政策にも通じている。著書に「2円で刑務所、5億で執行猶予」(光文社新書)、「罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦」(現代人文社)などがある。