木之内みどり「横浜いれぶん」人気アイドルがニューヨークに逃避行! 1978年 2月25日 木之内みどりのシングル「横浜いれぶん」がリリースされた日

儚げで、突然ふっと消えちゃいそう。愛らしいけど、なんだか不安な印象を抱かせたアイドルが、70年代に活躍した木之内みどりだ。音程だけでなく、存在自体も不安定。ニコニコしていても、明るいポップスを歌っていても、どこか寂しげに見えた。

映画『野球狂の詩』の水原勇気や、テレビドラマ『刑事犬カール』の婦警など、快活な役どころを演じても彼女に対する印象は変わらなかった。だから、1978年にリリースしたシングル「横浜いれぶん」で、突如すれっからし路線を打ち出してきたのには意表を突かれた。

 横浜いれぶん 横浜いれぶん  あんたの傷をいやすのは  海鳴りよりは 土砂降りがいい

あんた、傷、海鳴り、土砂降り。歌詞だけ見ると、ほとんど内藤やす子だ。衣装も、これまでの可憐なワンピースとはガラリと違う、モノトーンのパンツルック。とはいえ、歌い方が突如シャウトになるわけはなく、相変わらずのふんわりボーカル。歌詞と歌い方のギャップがなんだかクセになるのか、「横浜いれぶん」は木之内みどりの一番のヒット曲となった。

さらに「無鉄砲」「一匹狼(ローン・ウルフ)」と、すれっからしソング(がらっぱち三部作と言うらしい)をリリース。だが、「一匹狼」リリース直後、突如ミュージシャンの後藤次利とともにアメリカへ逃避行する。人気アイドルが、仕事を放り出して妻帯者を追うなんて、まさに大スキャンダルだ。

そして、帰国後の引退会見。あの可憐で華奢な木之内みどりの中に、こんな思い切りのよさが秘められていたなんて。やはり望んで芸能活動をしていたんじゃないんだろなぁ…… と、私は勝手に彼女の心持ちを想像した。

その5年後、ついにというか、やっというか、晴れて後藤次利と入籍するが、結婚生活は4年で破綻。カメラマンとしての活動を経て、90年に竹中直人と再婚する。美女と野獣なんていわれたカップルだが、そのときの竹中は俳優として上り調子。笑いながら怒る人や、松田優作のモノマネができるセンスのよさも捨てがたい。次々とアイドルに手を出すミュージシャン(失礼!)より、夫として理想的に見えた。

引退後は公の場に一切姿を見せない木之内みどりだが、2年前「徹子の部屋」に出演した竹中が、妻とのなれそめや家族のことを語るのを聞いて、ほんとに妻にベタ惚れなんだなぁと、ちょっとうれしくなった。

引退から41年が経ち、21歳で引退した彼女もすでに62歳。儚げだったアイドルは、タフなマダムになれただろうか。

カタリベ: 平マリアンヌ

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