【寄稿】ながさき時評 「香港大規模デモ」 長崎の近代史に通底

西村明

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 香港が揺れている。若者を中心に、数十万人に及ぶ規模のデモ隊が数カ月にわたって活動を続け、警官隊との衝突によって多数の拘束者や負傷者も出ている。デモ隊の抵抗もエスカレートし、道路の封鎖やショッピングビルの占拠に加え、12日には香港国際空港の全便欠航に至った。
 軍の出動可能性もささやかれる中、刻一刻と状況が推移している。この原稿を書いている時点では、事態終息の見通しは立たない。
 今回の一連のデモ活動は、今年前半に香港立法会で審議されてきた逃亡犯条例の改正案を巡るものである。この改正案は、容疑者引渡しの手続きを簡素化して、中国大陸や台湾などとの間で引渡しを行えるようにするものである。これが成立すれば、香港の自治権が脅かされることになると懸念する市民たちが、香港政府と中国共産党政権の方針と強硬な姿勢に対する抗議を重ねているというわけだ。
 中国メディアは、この市民活動の背後で米国が糸を引いているのだと報じたという。米国側はその“陰謀説”を否定し、逆に中国側の姿勢を批判しているという。
 こうした市民活動は、えてして国家間の問題としてのみ捉えられ、当事者の視点や思いは取り残されるきらいがある。かつて原水禁運動が東西冷戦のあおりで分裂し、被爆者自身の考えが二の次とされた歴史を知る者としては、なおさらそうした点に注意を向けたい。若者たちの行動は、欧米的な自由経済、資本主義を支持して中国の社会主義体制を拒もうとするものなのか、それとも「自由」という普遍的理念の死守なのか。その点の見極めも重要である。
 それと同時に、より長い歴史的尺度で今回の事態を捉え返すことも求められよう。
 1997年7月に香港がイギリスから中国に返還された際、「一国二制度」の下で香港の自治が50年間認められたことが、現在の問題の枠組みとなっている。しかし、その淵源(えんげん)をたどれば、1839年に始まるアヘン戦争によって、香港がイギリスの植民地となったことが発端である。
 日本が近代化にかじを切り、富国強兵策をとったのも、同じ世界史の流れにある。明治半ばに、香港上海銀行の支店が長崎に置かれ、孫文の活動を支援した梅屋庄吉が香港で写真館を営んだことをはじめとして、長崎と香港は歴史の地下鉱脈でつながっている。
 長崎は世界規模の「近代という実験」の舞台の一角にあった。今回の香港の事態は、その同じ実験の延長に生じた出来事であり、混迷する時代にあって長崎の今後を見定めるためにも注視が必要である。

 【略歴】にしむら・あきら 1973年雲仙市国見町出身。東京大大学院人文社会系研究科准教授。宗教学の視点から慰霊や地域の信仰を研究する。日本宗教学会理事。雲仙市から東京へ単身赴任中。