被爆体験、国境超え 藤沢の団体がインドネシア講演も

被爆体験の継承活動などについて説明する和賀井さん=藤沢市内

 広島の被爆体験を藤沢市の子どもたちに伝える市民団体が、インドネシアとの国際交流を深め、活動の幅を広げている。7月には日本に招いた同国の大学生らと広島を訪れ、被爆者の話を聞いた。秋には同国の大学での講演を企画。同国では原爆についてあまり知られていない現実に、メンバーは「世界の平和のために国境を超えて一人でも多くの人に伝えていきたい」と意気込む。

 団体は、藤沢市民の有志らでつくる「湘南とアジアの若者による未来創造事業実行委員会」。代表で元教員の和賀井稔さん(58)をはじめ、現役教員ら11人のメンバーで活動している。

 2002年ごろから、市内の子どもたちを広島へ連れ、被爆者の体験を聞く場を用意するなどの取り組みを続けてきた。だが、こうした訪問が旅行業法に抵触する恐れがあるため、17年に終了。被爆者を藤沢に招いた講話会という形に切り替えた。

 一方、和賀井さんが約30年前にインドネシアで現地の保健事情を学んだことを機に国際交流にも注力。同国を訪れ貧困層を支援するほか、日本語を学ぶ学生を招いて市内の子どもたちと触れ合う場を設けてきた。

 同国の若者にも原爆被害を知ってもらおうと、昨年2月に和賀井さんが現地の大学で講演。学生からは「こんなに悲惨なこととは知らなかった」という感想が多く寄せられた。これまでも交流活動の一環で同国の学生が広島に足を運ぶことはあったが、今年7月には平和交流に特化したプログラムを初めて企画した。

 学生らは3泊4日の日程で、被爆者の豊永恵三郎さん(83)=広島市=らから話を聞いたほか、広島平和記念資料館や原爆ドームを見学。14万人が犠牲となった惨状にショックを受けた。9歳で「入市被爆」した豊永さんは「平和のバトンを(インドネシアでも)つないでほしい」と呼び掛けた。

 9月には、在日韓国人2世の被爆者で「二重の差別」を受けてきた李(イ)鐘根(ジョングン)さん(90)=広島市=がインドネシアの大学を訪れ、自身の体験を語る。和賀井さんは「将来、自国で核兵器を巡る議論が起きたときに、今の若者たちがしっかり判断できるようになってほしい」と願う。

 旧日本軍はオランダの植民地だったインドネシアを占領し、1942年から45年まで軍政を敷いた。7月のプログラムに参加したステファノ・スギヤントさん(24)=千葉県市川市=は「学校で学んだ日本の歴史は占領についてがほとんど。原爆のダメージがここまでひどいと思わなかった。祖国の家族や友人にも伝えたい」と話す。

 原爆投下から74年がたち、和賀井さんは焦慮に駆られる。「被爆者から話を直接聞ける時間はあとわずか。今のうちに、国内外を問わず多くの人に平和への思いを届けたい」

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