ブラジルから帰化して「他国代表の大物」になった5名のスター

広州恒大のブラジル人FWエウケソンが中国代表の登録メンバーに入っていることが明らかになった。国内リーグで目覚ましい活躍を見せてきたストライカーは、W杯予選突破の切り札になることが期待されている。

世界最大のサッカー選手供給国であるブラジルからは、様々な代表チームに帰化選手を送り込んでいる。

今回はそんな「他国の代表チームに入って中心的な役割になった5名の選手」をピックアップしてみよう。

デコ(ポルトガル代表)

コリンチャンスのユースに所属していたデコ。コパ・サンパウロ・ジュニオールでのプレーが認められ、19歳でポルトガルのベンフィカへと移籍した。

後にジョゼ・モウリーニョ監督の下でポルトの絶対的な司令塔となり、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の誘いを受けてポルトガルへの帰化を決断。EURO2回、ワールドカップ2回に出場するなど活躍を続けた。

ジエゴ・コスタ(スペイン代表)

セルジペという小さな町で生まれ、ストリートサッカーで育ったジエゴ・コスタ。故郷のクラブには入団できず、15歳でサンパウロに引っ越して働きながら選手を目指した。

名代理人のジョルジュ・メンデス氏に目をつけられたことから欧州への道が開き、アトレティコ・マドリーで世界的なストライカーとしてブレイクした。

2013年3月にブラジル代表のルイス・フェリペ・スコラーリ氏によって招集されたものの、親善試合のみでしかプレーせず。そして9月にスペイン代表からの招集を受け、代表入りを決断した。

チアゴ・モッタ(イタリア代表)

サンパウロ出身のモッタ。17歳でスペインへと渡りバルセロナに加入し、2007年まで所属していた。その間にブラジル代表でも2試合に出場している。

スペインでは怪我やラフプレーが多かったためになかなか評価されなかったが、2008年にジェノアと契約してから再ブレイク。次年度にはインテルへ引き抜かれ、セリエA屈指のボランチとして君臨した。

2011年には父方の祖父がルーツを持っているイタリアから代表入りの打診を受け、それを快諾。EURO2016ではアントニオ・コンテ監督からなぜか10番を手渡された。

ペペ(ポルトガル代表)

マセイオの出身で、コリンチャンス・アラゴアーノの下部組織で育成されたケプレル・ラヴェラン・ジ・リマ・フェレイラ、通称「ペペ」。その名前は科学者ケプラーと病理学者ラヴランに基づくものだが、世界屈指のクラッシャーとして成長した。

2004年に加入したFCポルトでは当初なかなか出番が得られなかったが、コ・アドリアーンセ監督の下でブレイク。2007年にはレアル・マドリーへとステップアップし、数多くのタイトル獲得に貢献した。

2006年8月にドゥンガ監督から代表入りの誘いはあったようだが、彼はそれを拒否。次年度にポルトガルの国籍を取得し、EURO2008予選から長く最終ラインの重要な存在としてプレーしている。

ジョルジーニョ(イタリア代表)

現在チェルシーでプレーしているジョルジーニョ。ブラジルのインビトゥーバという街で生まれ、2007年に15歳でイタリアへと渡った。

ちなみに同国は彼にとって父方の曽祖父の出身地。それもあって祖父が市民権を持っていたため、2012年にイタリアの国籍が取得できたという。

ナポリ時代にマウリツィオ・サッリ監督の下でプレーメーカーとして大ブレイクを果たし、2016年に初めてイタリア代表チームに招集を受けている。

なお、他にもケヴィン・クラニーやリエジソン、マルコス・セナ、マリオ・フェルナンデスなど、ブラジルから他国の代表に鞍替えした選手は数多い。

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