日本サッカー史上、これほど「世界」との垣根が低い世代はなかっただろう。
この夏、レアル・マドリード(スペイン)に18歳の久保建英、バルセロナ(同)に20歳の安部裕葵が加わり、三好康児はアントワープ(ベルギー)、前田大然はマリティモ(ポルトガル)に移籍した。
もちろん真価が問われるのはこれからだが、東京五輪世代の逸材たちが順調にステップアップを果たしていることは頼もしい。
1997年11月16日、「野人」岡野雅行の決勝点で日本代表がワールドカップ(W杯)初出場を決めたシーンは多くの国民を熱狂させた。
1997年以降生まれに当たる東京五輪世代には、この「ジョホールバルの歓喜」をリアルタイムで体感した選手はいない。
彼らにとって、物心ついたときから日本代表はW杯の常連国。いや応なしに世界との競争を意識して育ったことが、この世代の共通項だ。
6月にブラジルへ出張し、南米選手権を取材した。
招集が難航した日本代表は若手中心の編成となり、南米勢からは「大会軽視では」との声も上がった。
調整不足で臨んだチリとの初戦に0―4で大敗。万事休したかと思ったが、ここからのパフォーマンスに驚かされた。
第2戦でぶつかったウルグアイは世界的な点取り屋のカバニ、スアレスらそうそうたる顔触れ。
それでも三好が強気に仕掛けて先制し、同点に追い付かれて迎えた後半も再び三好がこぼれ球に詰めてリードを奪った。
堂々と渡り合った結果は引き分け。印象的だったのは、三好が厳しい表情で口にした言葉だ。「勝ち点3を取れる試合だった。全員で、勝てなかったことを反省しなくてはいけない」
格上相手にも、誰ひとりとしてひるまない。「3連敗で帰国か」と意気消沈していた自分に活を入れられた気分だった。
日本の実力に懐疑的だった本場の観衆たちも、思わず身を乗り出してプレーに見入っていた。
結局、1次リーグは2分け1敗で敗退。ただ、森保一監督は「全く臆することなく自分たちの力を発揮し、相手に挑んでいくことができた」と手応えを感じた様子だった。
幼少期に海を渡った久保建はバルセロナの育成組織出身。三好は小学生時代に「欧州のクラブで活躍する」と決意した。
常に世界を見据えてきた彼らは、力むことも腰を引くこともなく、堂々と普段通りのプレーを披露できていた。
サッカー男子の五輪表彰台は、1968年メキシコ大会の銅メダルだけだが、来年の東京五輪では強気に金メダルを目標に掲げる。
地元開催の重圧もかかる中で、選手たちのこの精神力は大きな武器になるだろう。
世界への扉をこじ開けた岡野のゴールからおよそ四半世紀。2020年8月8日の決勝で、新たな歴史を切り開くゴールは生まれるか。
石井 大輔(いしい・だいすけ)プロフィル
2006年共同通信入社。名古屋支社、仙台支社を経て11年12月から本社運動部でサッカーを担当。慶大時代はボート部に所属した。