アレンジャー船山基紀、その楽曲は日本人にとっての味噌汁だ! 2019年 9月8日 アレンジャー船山基紀のトークイベント「編曲家という仕事 vol.2」が開催される日

2013年からイベント企画・運営グループ「ケモノディスク」を立ち上げ、様々なイベントを開催してきたことは以前のコラムでも書いた。2019年1月27日には、日本を代表する編曲家・船山基紀さん、ノーナ・リーヴスの西寺郷太さん、元 DU BOOKS の田渕浩久さんをお招きしてトークイベント『編曲家という仕事 ~ 男性アイドルの楽曲を中心に辿る船山基紀の世界~』を開催。そのプレイベントとして、1月12日には歌謡曲BAR スポットライト新宿で、船山さんが手がけた楽曲縛りの DJイベント『船山基紀ナイト』を開催した。

『船山基紀ナイト』では20代~50代の DJ 4人が得意分野を活かし、4時間ノンストップでプレイ。船山さんが手掛けた楽曲は1974年から現在までと幅広いが、イベントではアナログレコードを流すということで70年代後半~80年代中心となった。それでも選曲するには全く困らないほどの膨大なレパートリーがある。ご本人によると2,000曲以上編曲されているとのことだった。編曲家としての作品の数は萩田光雄に次いで多いのではないだろうか。今回はその時に流れた曲を振り返りつつ、自分と船山アレンジ楽曲の接点を思い出してみようと思う。

歌謡曲ファンには好きな人も多い渡辺真知子からは「唇よ、熱く君を語れ」、「たとえば…たとえば」、「迷い道」などが流れた。思い起こせば小学校低学年の頃、親の車のカーステレオでよく渡辺真知子を聴いていた。その当時 CBSソニーに勤めていた叔父から、所属アーティストの見本版のカセットテープが入ったダンボールが実家に送られてきていた。その中に渡辺真知子もあって、特に「唇よ、熱く君を語れ」は好きだった。

小学校から下校する時には、田原俊彦の「ハッとして!Good」を口ずさみながら、横断歩道の白いラインをステップ踏みながら渡っていたことも思い出す。少し遅れてデビューした中森明菜の「スローモーション」も好きで、その後、カラオケでの十八番ソングになった。その頃は船山さんの存在は全く知らなかったけれど、幼少の頃から船山アレンジには無意識のうちに反応していたようだ。

友達の影響でC-C-Bも好きだった。イベントで流れた「Romanticが止まらない」、「Lucky Chanceをもう一度」などの他、4枚目のシングル「スクール・ガール」が特に好きだった。夏の林間学校のキャンプファイヤーで歌ったことは今でもいい思い出だ。「スクール・ガール」の編曲も船山さんだったと知ったのは最近だが、今聴くと跳ねたイントロの感じとか船山さんらしいなと思う。

中学生の頃はオメガトライブと少年隊にハマり、特に好きだったオメガトライブでは歌詞カードを何度もチェックしていたため、「船山基紀」という名前が初めて私の脳裏にインプットされた。イベントでは1986オメガトライブ「Sand On The Seat」、カルロス・トシキ&オメガトライブ「Emmy Angel」、少年隊「仮面舞踏会」、「ABC」などが流れ、とてもテンションが上がった。その辺の楽曲についてはコラム「1987年の船山基紀― 1986オメガトライブと少年隊」でも書いている。

オメガトライブと同じ事務所だった池田政典も聴いていたが「ハートブレイカーは踊れない」、「Shadow Dancer」なども船山さんアレンジだ。5枚目のシングル「君だけ夏タイム」では作曲も手掛けている。その頃の楽曲では稲垣潤一の「思い出のビーチクラブ」も好きだった。カナダドライ・ジンジャーエールの CM と共に、甘酸っぱい気持ちが蘇る。

中学から高校にかけては、オメガトライブにハマっていたこともあり『歌のトップテン』、『夜のヒットスタジオDELUXE』などの歌番組を毎週見ていたが、イベントでも流れた、中山美穂「50/50」、森川由加里「SHOW ME」、Wink「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」など、船山さんが手がけた曲は毎週のようにベスト10に入っている状況だった。

当時流行り出したカラオケボックスではよくそれらの曲を歌っていた。カラオケボックスと言ってもだだっ広い駐車場に置かれたコンテナだったが。Wink はクラスの女子に人気で、カラオケに行くと必ず誰かが振り付け付きで歌っていたものだ。

このように振り返ってみると、幼少期から10代にかけ自分の中で印象に残っている曲は、船山さんが手掛けたものが多い。イベントでは「この曲も船山さんだったのか!」という発見の連続で、何十年にも渡り意識するしないに関わらず、数多くの船山アレンジに触れてきたことを実感する。そういう意味でも『船山基紀ナイト』は、船山さんの編曲家としての偉大さを改めて知ることができたいい機会だったと思う。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』で船山さんが特集された時、「1970、1980年代の J-POP の音楽像の礎を作った人」と紹介されていたが、それくらい船山アレンジは日本中の人々に浸透していて当たり前に存在しているものになっている。ある意味、船山アレンジは日本人にとっての味噌汁のようなものかもしれない。

8月24日(土)夜にはスポットライト新宿で再び『船山基紀ナイト vol.2』を開催する。 9月8日(日)三軒茶屋グレープフルーツ・ムーンで開催するトークイベント『編曲家という仕事 vol.2 ~歴代のヒット曲を中心に辿る船山基紀の世界~』と合わせて、船山アレンジの魅力を多くの人と分かち合えたらと思う。

カタリベ: ケモノディスク 中村

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