仲間は刀で殺され、父は集団自決― 満州の「悲劇」語り続ける 満蒙開拓団参加、手稲の93歳平木さん「戦争で良かった事などない」

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「戦争でふるさとも財産も家族も失った」と語る平木さん

 太平洋戦争末期、家族で旧満州(現中国東北地方)に渡り満蒙開拓団に参加、仲間が中国人に殺され、家族も集団自決で亡くした―。札幌市手稲区の平木重男さん(93)は半世紀にわたり、語り部として悲惨な体験を依頼に応じて講演している。人を撃った経験も告白し「戦争で良かった事など一つもない」と語る言葉は重い。

 平木さんは、明治期に三笠市へ入植した農家の5男4女の末っ子。国鉄職員だった1944年2月、満州警察勤務の四男茂さんから「兄弟が皆徴兵されたら父の面倒を誰が見るのか。一緒に来れば安心」と誘われた。平木さんと父は反対したが、家も畑も売り、長男一家、四女と開拓団入りを決めた。

 仙台、新潟、韓国・釜山を経て汽車で旧ソ連国境に近い牡丹江(黒龍江省南東部)に到着。近くの哈達河(はたほ)開拓団に加わり、家族で約45ヘクタールの土地を開墾、スイカやコウリャン、トウモロコシを作った。「当時は何も考えなかったが、現地の住民から奪った土地でした」。平木さんも20年4月に召集、歩兵隊員として北朝鮮国境付近に派遣された。

■敗戦前夜に脱走

 敗戦前夜の8月14日、武装解除され移送されるといううわさが流れ、知人の中国人から「行ったら殺される。逃がしてやる」と耳打ちされた。仲間と2人で闇に紛れて脱走。数週間後、別の開拓団員が集まった収容所にたどり着くと約800人が身を寄せていた。

 そこでは開拓団の畑を荒らす中国人と石を投げ合う衝突が発生。代表者と平木さんが話しに行くと「銃を隠しているのでは」と疑われ、ないと言っても信じてもらえず、縛り上げられた。「殺されるんだと観念した」