内山(上市出身)「来夏は優勝旗必ず北陸に」 甲子園で星稜準優勝

履正社―星稜 2回裏星稜無死、内山が左前打を放つ=甲子園

 富山生まれのスラッガーは、北陸初となる夏の深紅の優勝旗にあと一歩届かなかった。第101回全国高校野球選手権大会は22日、甲子園球場で決勝を行い、北陸勢初の優勝を目指した星稜(石川)は履正社(大阪)に3-5で敗れた。上市町出身の星稜の4番内山壮真(2年)は3打数2安打と活躍したが、敗戦後は涙が止まらなかった。

 「高校で全国制覇したい」。その思いをかなえるため、名門・星稜高でのプレーを見据えて中学野球の強豪・星稜中に進学した。午前5時半に起きて片道2時間弱の電車通学に加え、知り合いもほとんどいない環境。「最初はすごい大変だった」と振り返るが、向上心を失わず、2度の全国優勝を果たすなど活躍した。

 高校では寮生活を送る。1年でレギュラーとして出場した昨夏の甲子園は2回戦で足をつって途中交代し、チームも敗退。自身の力不足を痛感した。以降はそれまで以上に打撃向上に力を入れ、昨夏まで1本だった本塁打数は今大会まで20本に増えるなど確実な成長を遂げてきた。

 「自分が打って全国制覇」と臨んだ決勝は、同点に追い付いた七回2死一、二塁の逆転の好機で打席が回ってきた。変化球3球を見逃した後、真ん中付近の直球を捉えた。高く上がった飛球は左翼ポール際でわずかに切れてファウル。その後四球を選んだが、得点にはつながらなかった。「あの一球を仕留めるのが4番。悔いが残る」と自らを責めた。

 大会を通じて多くの富山県民から応援を受けたといい「星稜に進んだ自分に対して地元から声援があるのはうれしかった。次は必ず北陸に優勝旗を持ち帰る」。絶対的エースの奥川恭伸(3年)が去った後、“チームの顔”として名門を引っ張る覚悟を決めた。 (社会部・石黒航大)

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