【埼玉県知事選】激戦の半世紀の歴史を振り返る

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参議院選挙後、初めての知事選挙となり、国政の与野党がそれぞれ候補者を支援する構図の埼玉県知事選挙は、25日の投開票に向け、各陣営が最終盤の激しい選挙戦を展開しています。
埼玉県知事選挙は公選制となってから今回で20回目です。このうち、新人同士が争う構図は、第1回(1947年)、第2回(1949年)、第4回(1956年)、第8回(1972年)、第13回(1992年)、第16回(2003年)と今回を含め7回目となります。
このうち、革新県政が誕生した第8回(72年)、5期20年知事を務めた畑和の後継をめぐる第13回(92年)、政治資金規正法違反容疑で親族が逮捕され引退に追い込まれた土屋義彦の後継をめぐる第16回(2003年)の選挙を振り返ります。(敬称略:肩書は当時)

第8回:1972年7月2日執行

自民党は、当時の栗原浩知事の続投を求める勢力、大塚茂副知事を擁立しようとする勢力が混在、分裂し、最終的に川口市長を務めていた大野元美が立候補しました。一方、この時期、京都、東京、大阪、沖縄で革新自治体が相次ぎ誕生したことを背景に、社会党や共産党は、革新県政の実現を目指し、当時、社会党衆議院議員を務めていた畑を統一候補として擁立しました。

選挙戦は、畑と大野の事実上一騎打ちとなりましたが、急激な都市化に対する交通網の整備、老人福祉の充実、公害対策など革新県政誕生を求める有権者の勢いが圧倒し、畑が大野に大差をつけ勝利しました。選挙戦の最終盤、畑の応援に入った屋良朝苗沖縄県知事は、畑に対する有権者の期待を「埼玉燃ゆ」と表現しました。この選挙で敗北した大野の孫が、今回、立候補している大野元裕で、大野家にとっては47年を経て知事選再挑戦となります。

○畑和 無所属・新 791,815(52.7%)
大野元美 自民・新 697,179(46.4%)
その他 8,640(0.6%)

第13回:1992年6月21日執行

5期20年知事を務め、当時81歳となった畑が、6選を目指すのか、それとも後継者を擁立するのか、これに対して、自民党が20年ぶりに県政を奪還するのか、前年(91年)の県議会議員選挙以降、畑と自民党県議団による激しいやりとりが続きました。

畑は、東北・上越両新幹線の大宮駅開業や埼京線の開通、地価高騰抑制のための「暫定逆線引き」(一定規模の開発計画できるまで市街化区域への編入を認めない)など5期20年の実績に加え、中央省庁のブロック機関等を移転させるさいたま新都心の誘致・着工を成功させました。
さらに、勲一等旭日大綬章を受章したことで、著名な官僚を後継者にし、勇退するという選択肢も視野に入れていました。

一方、自民党は県議団幹部を中心に、91年5月、県発注事業を大手建設企業が談合している疑いで、公正取引委員会が立ち入り調査を行った事案(94年3月に東京地検特捜部が埼玉土曜会談合事件として摘発)について知事の責任を問い続けました。

こうした中、環境庁長官や参議院議長を務めた土屋義彦を知事候補に擁立する動きが出てきました。この背景は、当時の県議団幹部が「参議院議長を務めた土屋をダミーにして畑に引退を迫る。県議団に配慮できる人物を新たに擁立する」というものでした。

土屋は10月に立候補を表明し、続いて畑も12月県議会で6選を目指すことを明らかにしました。しかし、知事選告示を間近に控えた92年4月末、当時の自民党副総裁・金丸信が、社会党委員長・田辺誠と連携を取り「知事選で畑と土屋が激突すれば、大きなしこりを残す。畑・土屋とも立候補を辞退させ、与野党で推薦できる著名な官僚を擁立する」といういわゆる【金丸裁定】を提案してきました。

畑・土屋がこの【金丸裁定】を受け入れるかどうかが焦点となり、まず、畑が5月12日昼過ぎ、「このまま選挙戦に突入すれば県民が迷惑する。立候補を辞退」する決断を行い、午後3時から記者会見を行いました。

一方、土屋に対しては、金丸はじめ竹下登元首相、所属する清和会幹部らが立候補辞退に向けての説得を続けましたが、「辞退は100%ない」「200%ない」「500%ない」とトーンを上げ、選挙戦に突入し、社会党、共産党などが推薦するほかの4人の候補者を下しました。

「さいたま新都心」誘致、新幹線や高速道路など交通網の整備、高騰する地価抑制など革新知事による現実政策の実施という地方自治上でも高い評価を得た畑は、7月10日、1000人近い職員や県民に見送られ、県庁舎を後にしました。

○土屋義彦 無所属・新 906,851(58.5%)
高橋昭雄 無所属・新 233,058(15.0%)
小山行一 無所属・新 190,017(12.3%)
中井眞一郎 無所属・新 186,007(12.0%)
その他 5,718(0.4%)

第16回:2003年8月31日執行

畑に続き、国会議員経験者として知事に就任した土屋は、就任当初、「ダ・さいたま」と言われ続けた県のイメージアップや芸術・文化情報の発信に力を入れました。しかし、96年衆議院選挙で、次女品子が当選したのをはじめ、妻栞や長女桃子が、頻繁に県庁の知事室に出入りし始めました。また、秩父地域に完成したダム湖に、長女の名前と同じ音の「桃湖」と名付けるなど公私混同が一層酷くなったとの報道も目立つようになりました。

03年、土屋自身の政治資金管理団体に約1億円の政治資金の不記載が発覚し、長女桃子が東京地検特捜部に逮捕され、土屋自身も特捜部から事情徴取を受ける事態に発展しました。土屋は起訴猶予となり、知事を辞職、引退に追い込まれました。

土屋辞職を受けての知事選は、新人8人の争いとなり、当時の民主党衆議院議員だった上田清司が当選、その後、4期16年、県政を担うことになりました。

○上田清司 無所属・新 808,092(40.8%)
島津昭 無所属・新 451,057(22.8%)
浜田卓二郎 無所属・新 210,198(10.6%)
坂東眞理子 無所属・新 204,389(10.3%)
高原美佐子 無所属・新 175,137(8.8%)
その他3人 70,055(3.5%) 15,790(0.8%) 8,931(0.5%)
第16回埼玉県知事選挙(2003年)>>

知事選の深刻な課題:投票率

県知事選の投票率は、前回2015年が26.63%だったのをはじめ、11年が24.89%、07年が27.67%と過去3回連続して、20%台が続いていて、投票率の低下が深刻な課題です。県統計課のまとめでは、埼玉から都内に通勤・通学する人は約93万人(15年10月まとめ)と733万余の人口の約13%となっています。

働く、学ぶだけでなく、食事・買い物をする、テーマパークに行く、さらにゴミを捨てるなどあらゆる消費・生活動向で、東京への依存度が極めて高く、新聞購読でも「埼玉に住んでいながら都内版を希望する人が多い」(大手紙編集幹部)のが実情です。しかし、自らの居住地・埼玉県の県政の舵取り役は、県民自身の投票でしか決められません。

県選挙管理委員会は、県内175か所に期日前投票所を設置していて、原則、24日の午前8時30分から午後8時まで期日前投票を行うことができます。
地域によっては受付時間が異なりますので、詳しくは最寄りの選挙管理委員会まで問い合わせ下さい。令和初めての埼玉県知事選挙の投票日は25日(日)です。