記者が裁判員になって考えたこと 人が人を裁く重み

左は裁判員裁判が開かれた高松地裁 右は事件の現場となったカラオケ店の駐車場=香川県善通寺市

 裁判員裁判の開始から10年。普段、記者として傍聴席で取材することが多いが、法廷の内側からはどんな光景が見えるのだろうか。昨年10~11月、高松地裁で開かれた裁判員裁判に、補充裁判員として参加する機会があった。遺族の処罰感情に揺さぶられる一方、刑の公平性も考えた。刑罰について初めてわが事として考えた体験だった。

(共同通信=佐藤萌、当時高松支局員、信濃毎日新聞に出向中)

 おととし11月、自宅にある書類が届いた。送り主は「最高裁判所」。びっくりして封を開けると、私が裁判員候補者名簿に1年間記載されるとのお知らせだった。

 その後、事件ごとの抽せんで「裁判員等選任手続き」に呼び出され、昨年10月末に30人ほどが地裁の一室に集まった。この中から裁判員6人と補充裁判員2人が選ばれる。交際相手の女性をカラオケ店の駐車場で殴り、死亡させた男性被告の傷害致死事件について扱うという。説明を終え、結果が前のスクリーンに映された。補充の2番に私の番号があった。

 「まさか」。驚いている間に別室に通され、事件を担当する裁判官、弁護士、検察官と顔合わせ。選ばれた、互いに面識のない8人で、公正に職務を行うとする宣誓書を、声をそろえて読み上げた。

 翌週の月曜日、公判が始まった。「見て聞いてわかる裁判を目指している。気構えず望んで」と裁判官はにこやかだ。入廷の仕方を一度練習しただけ。あっという間に審理が始まった。

 普段、取材で傍聴席に座っている時は、最後に奥の高い扉から登場する裁判官らはやや威圧的に見えていた。ただ自分がその扉から入廷すると、思ったより高さは感じられない。見上げられている感覚もあまりなかった。補充裁判員の私は、裁判官と裁判員の一歩後ろに着席した。意外に後ろからも、傍聴席の奥までよく見渡せた。検察官も弁護人もこちらを見ているので、すべての人の表情がよく分かった。

 被告が証言台の前に呼ばれた。弁護人の隣から歩み出た、白シャツに紺のネクタイを締めた少し髪の長い男性被告。きれいな身なりで、拘束されていなかった。「この人が被告人か」。多くの視線が集まる法廷の中央で、被告が名乗る声が震えていた。見ているだけで緊張した。

 冒頭陳述で検察官と弁護人が主張を述べ合った後、証拠調べに入る。裁判員に語りかけるよう、ゆっくりと分かりやすい口調だ。複数の防犯カメラを時系列に編集した映像や、人間関係の相関図は視覚的で理解しやすい。一方で、1時間を超えた被告人質問は焦点が分かりづらかった。伝えたい部分をいかに印象づけられるか。検察官と弁護人の工夫と苦労を感じた。

 「おかんは戻らない。被告は少しでも長く刑務所に」。被害女性の20代の娘が意見陳述した。最後まで強くはっきりした声だった。傍聴席では親族だろうか、すすり泣いている女性もいた。遺族の思いを少しでも酌みたい―。気持ちを揺さぶられたが、この感情が不公平に働いてはいけないとも思った。

 「取り返しの付かないことをした」と被告が泣いて悔やむ場面も。これから決める刑罰は被告、被害者、社会全体のためにどうあるべきか。それぞれの言葉を聞いたが、答えが見つかるとは思えなかった。検察官は懲役6年を求刑し、結審した。

 法廷とは一転、評議室は裁判員が発言しやすいよう和やかな雰囲気。簡単なお菓子やお茶も用意されている。「評議はろくろでつぼをつくるようなもの。皆の手が等しく添えられないといけない」と裁判長が切り出した。補充の私も含めた裁判員おのおのに発言を促す。疑問にも答えてくれた。

 評議では最初に有罪かどうか判断し、有罪の場合に刑を決める。傷害致死罪は、基本的に懲役3~20年まで幅がある。年数で意見が分かれる場合は、特殊な多数決を行う。最後は過半数、かつ裁判官と裁判員の双方の票が入ったところが落としどころだ。補充裁判員は議論に参加できるが、最終の多数決に参加することはできない。

 量刑判断の材料の一つとして、過去の裁判員裁判で行われた類似事件の量刑をまとめたグラフを見た。傷害致死事件の中で、似た事件をデータベースから集めている。「単独(犯行)」「凶器なし」「知人関係」「偶発的、一時的」。これらの条件が共通する事件で、どのような量刑となったか。全体的な分布を見た上で、個別の事例もいくつか検討した。

 過去の判例は「あくまで参考」の扱いという。しかし、判例に照らして被告の罪の重さがどうか検討しないと、具体的な懲役年数を考えづらい。他に基準となるものはないので、最も分かりやすい手掛かりだった。ただ、他と比べて目分量で測るようにして刑罰を決めてもいいのだろうか―。迷う場面は多かった。

 判決内容は「懲役4年6月」に決まった。評議の具体的な内容は守秘義務により口外できないが、判決文の一文一文に話し合いの結果が反映されていた。「なるほど、この一文のためにあの議論があったのか」と後から理解できた部分もある。

 最終日は判決言い渡しの日。裁判長が宣告する間、被告はまっすぐ前を見てほぼ表情を変えなかった。遺族は少しうなずきながら、量刑理由に耳を傾けた。

 判決を出した責任をどう受け止めていいか難しかった。「皆で決めたことです」。裁判長は解散する前に声を掛けてくれた。1人で背負い込まないように、という配慮だが、やり直しが効かないとの実感は重たかった。

 5日間にわたり顔を合わせて議論した、主婦や会社員、パート職員などさまざまな属性からなる裁判員経験者は、それぞれの仕事や生活に戻った。被告は控訴せず、刑は確定した。

 地裁から自宅へ戻る車中、ラジオから大阪府寝屋川市の中1男女殺害事件の裁判員裁判が始まったとのニュースが流れた。衝撃的な事件だったが、これを裁く人は何を思うのだろう。死刑求刑の可能性もあると指摘している。もし裁判員だったら、私は人に死を求められるだろうか。反射的に「無理だ」と思った。

 ただ私にはできないと思っても、偶然に選ばれた別の誰かがその判断を迫られ、被告に刑を科すことになる。命に関わるあまりに重たい行為に、これでいいと確信を持つことはできるのだろうか。人の手で積み重ねられてゆく判決に、怖さを感じた。

 裁判員裁判で判決が言い渡されたケースは制度施行から今年6月までに計約1万1300件に上る。判決に市民感覚を反映する試みは着実に運用されている印象だ。ただ、参考にできる過去の判例は豊富にあり、評議もスムーズで手法が洗練されている。前例に大きく寄りかかる仕組みは、時代に即した市民感覚の反映という点でズレないかと、懸念も頭をもたげる。

 また裁判員裁判への社会の関心は十分に広がっていないのではないか。裁判員が守秘義務により経験を語るのをためらい、周囲と共有しにくいことも背景にあるかもしれない。守秘義務は、裁判員が評議で自由に発言する支えになる。感想は述べてもいいが、その線引きが難しい。裁判所は、より丁寧な案内が求められていると思う。

 裁判員として公判をやり通すには大きな労力がかかる。職場や家族の協力も不可欠だ。私は期間中、日中の仕事を同僚や上司に肩代わりしてもらった。その分、経験者は何をしていたのか可能な範囲で身近な人たちと共有できたらいい。偶然選ばれた経験を通じ、人が人を裁く重みや戸惑いについて率直に発信し、裁判員制度の今後について議論するきっかけにできたらと思う。

全国初の裁判員裁判が行われた東京地裁104号法廷=2009年8月

裁判員制度刑事裁判に市民感覚を反映させる目的で2009年5月21日に始まった。最高刑が死刑または無期懲役か、故意に被害者を死亡させた事件が対象。裁判官3人と裁判員6人での審理が原則で、公判と非公開の評議を経て有罪・無罪と量刑を判断する。欠員に備え選任される補充裁判員も評議で意見を述べることができる。評議の経過や具体的な意見の内容などは裁判員法で守秘義務が課され、違反による罰則は6月以下の懲役か50万円以下の罰金。

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