消滅危機のボルトンを長く支えた「無骨スター」たち8名

現在深刻な経営難に直面しており、水曜日にはクラブの精算プロセスがスタートする可能性があるボルトン・ワンダラーズ。

かつて日本人の西澤明訓、中田英寿、そして宮市亮もプレーしたことで知られ、プレミアリーグではサム・アラダイス監督の下で「イングランド伝統のパワーサッカー」を繰り広げたクラブ。

サッカーフリークこそ注目したクラブ、ボルトンを彩った「無骨なスター選手たち」を今回思い出していこう。

ユッシ・ヤースケライネン

所属:1997~2012年

出場:474試合

フィンランド代表を長く支えた守護神ヤースケライネン。VPSという母国のクラブから加入して以来、ボルトンで15年にわたってプレーし続けた。まさにレジェンドといえる存在である。

イバン・カンポ

所属:2002~2008年

出場:172試合

「ボルトン再生工場」と呼ばれていた時代の典型的な選手だ。レアル・マドリーでなかなか使われなくなったファンキーなセンターバックは、プレミアで新たにMFにも挑戦。スペインでは不器用と言われた彼が「うまい」選手に化けた。

ギャリー・ケイヒル

所属:2008~2012年

出場:130試合

ボルトンで大きな成長を遂げてビッグクラブにステップアップしていったのがケイヒル。アストン・ヴィラではなかなか出場機会が得られなかったが、ボルトンでイングランドらしいDFとして活躍の場を獲得。人気選手となり、後にチェルシーへ移籍した。

ケヴィン・ノーラン

所属:1999~2009年

出場:296試合

ボルトンの下部組織で育成され1999年にトップチームへと昇格。それから10年にわたってチームを支え、キャプテンとしても存在感を示した。無骨で激しく献身的な選手で、サム・アラダイス監督のサッカーを体現する中盤の核だった。

ギャリー・スピード

所属:2004~2008年

出場:121試合

ニューカッスルの印象が強いものの、2004年に加入したボルトンでも4シーズンに渡ってプレーしたウェールズの重鎮。渋いプレーで名を馳せた選手だった。引退後にウェールズ代表監督を務めていたが、2011年11月に首吊りによる自殺で亡くなっている。

ケヴィン・デイヴィス

所属:2003~2013年

出場:351試合

ノーランのように生え抜きではないものの、まさに「ボルトンを体現する選手」の一人だった。FWながら献身的な守備と激しいプレーが得意で、誰よりもファイトする姿が印象的である。33歳で初めてイングランド代表に選ばれている。

ジェイ=ジェイ・オコチャ

所属:2002~2006年

出場:124試合

PSGで活躍していたオコチャがボルトンへやってきた時はかなりの驚きだった。あのトリッキーなテクニシャンが体力勝負のプレミアでやれるのか?その不安はまったくの杞憂に終わり、イングランドでも数多くのファンタジーを見せつけた。

ステリオス・ジャンナコプロス

所属:2003~2008年

出場:137試合

2004年にはギリシャ代表の一員として欧州選手権を制覇した司令塔ジャンナコプロス。オリンピアコスからやってきた彼は「ステリオス」のユニネームを背負い、2005-06シーズンにはMFながら12ゴールを決める活躍を見せた。

2015年には古巣ボルトンの買収に動いたものの、それは実現しなかった。あの時に彼が買っていればどうなったか…。

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