早すぎたガールポップ、須藤薫・河合夕子・遠藤京子のギャルコンを知っているか? 1982年 9月 新宿ルイードでギャルコンのファーストライヴが開催された月

1980年に山下達郎が「RIDE ON TIME」でブレイク、81年には大滝詠一がアルバム『A LONG VACATION』で脚光を浴びるなど、80年代に入ると、フォーク色が強かったニューミュージックシーンでも、洗練されたコンテンポラリーな洋楽的サウンドをもったアーティストがクローズアップされるようになっていく。

こうした動きにそって、都会的な音楽性をもった次世代アーティストをプッシュしようとする動きも生まれていった。そのひとつが、81年に展開された「ジャパコン(Japan Contemporary Sound)」というキャンペーンだった。ジャパコンは、杉真理(ソニー)、佐野元春(エピック)、網倉一也(フォノグラム)、浜田金吾(RVC)という4人のシンガーソングライターを対象にした、レコード会社の壁を越えた共同キャンペーンだった。

このジャパコンの一環として、7月に当時の人気ライブハウスだった新宿ルイードで行われたライヴイベントをきっかけにして、杉真理と佐野元春が、大滝詠一のオムニバス・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』に抜擢されることになったことも話題となった。

こうして、一定の成果を挙げたジャパコンの女性版ができないか。そんなコンセプトによって、翌82年に企画されたのが「ギャルコン(Gal's Contemporary Sounds)」。キャンペーンに参加したのは須藤薫(ソニー)、河合夕子(エピック)、遠藤京子(ビクター)という3人の女性アーティストだった。

須藤薫は1979年にデビュー。松任谷由実、杉真理、大瀧詠一らのバックアップを受けて、新しい時代をリードするポップシンガーとしての飛躍を期待されていた。

河合夕子はホリプロタレントスカウトキャラバン出身というキャリアの持ち主だが81年にシンガーソングライターとして「東京チークガール」でデビュー。ファーストアルバム『リトル・トウキョウ』でも独特の世界観で注目されていた。

遠藤京子(現・響子)も81年にデビューしたシンガーソングライター。どこかアイドル性を感じさせるキャラクターだったが、デビュー曲「告白テレフォン」も作曲こそ筒美京平だったが、作詞は彼女自身。同じ年に発表されたアルバム『オペレッタ』の収録曲も、ほとんど彼女自身の作詞・作曲によるものだった。

ギャルコンとしては、82年9月の新宿ルイードでのライブをきっかけに、11月には福岡でもライブを行うなど、それなりの活動は行われた。しかし、それが大きなムーブメントになったかといえば、けっして肯定はできない。印象としては、いつの間にか消えてしまったキャンペーンという感じも強い。82年の時点では、彼女達の個性がすんなり受け入れられるには、まだ機が熟していなかったんじゃないかという気もする。

「ジャパコン」がある意味で、時代のタイミングとシンクロしていたのに対して、「ギャルコン」は時代とシンクロするには少し早すぎたんじゃないか。そんな違和感があったからこそ、このキャンペーンがいまだに気になっているのかもしれない。

例えば、椎名林檎や宇多田ヒカルが登場し、より自分ならではの表現にこだわることが受け入れられるようになっていた1990年代に彼女たちが登場していたら、その真価はより広く浸透したのかもしれない。だからこのギャルコンは、その後の女性アーティストの表現の幅を広げるための、最初の礎のひとつとして評価することも出来るのではないか。そんなことを考えることもある。

この82年には、中森明菜の「少女A」、中島みゆきの「悪女」、あみんの「待つわ」、岩崎ひろみの「聖母たちのララバイ」など、新しい感覚の女性アーティストの楽曲がクローズアップされつつあった。けれど、河合夕子や遠藤京子の楽曲から感じられる個性は、この時代としてはちょっととがり過ぎていたのかもしれない。

けれど、今でも僕の中でギャルコンが印象に残っているのは、アメリカン・ポップ・テイストのロマンティシズムをアピールする須藤薫、楽曲からどこかエキセントリックなキッチュさが伝わってくる河合夕子、そして清楚な雰囲気の中に芯の強さを見せる遠藤京子という、まさに三者三様、これから売り出そうとしている新人という以外、どうくくっていいのかわからないラインナップが一堂に会した面白さのせいじゃないかと思う。

その後、3人はブレイクアーティストとはならなかったが。須藤薫は松任谷由実、杉真理らとのジョイントも含む活動をマイペースで展開していく。河合夕子もそのポップさをさらに推し進めた作品を発表していったが、その後、作家やボーカル指導などに力を注ぐ形で活動を続けている。遠藤京子も同名のドラマ主題歌「輝きたいの」(シングルリリースは83年)が話題になるなどしていたが、現在では作家活動や、マイペースでのアーティスト活動も続けている。

残念ながら、須藤薫は2013年に病に侵されて死去した。しかし、河合夕子も遠藤響子も、現代の音楽シーンとつながる活動を続けているのだ。

カタリベ: 前田祥丈

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