日本代表MF堂安律が、PSVに移籍することになった。
本拠地がアイントホーフェンという小さな町にもかかわらず、世界的な企業フィリップス社の支援を受けるPSVは、アヤックス、フェイエノールトと共にオランダ3強の一角を形成し、1980年代には欧州の頂点に立った名門クラブである。
そこで今回は、そんなPSVを経由し、世界のスーパースターへと上り詰めたアタッカーたちをご紹介しよう。堂安は彼らに続くことができるだろうか。
ルート・フリット(オランダ)
PSVでの成績:68試合46得点(1985~1987)
20世紀を代表するレジェンドとして日本でも名高いフリットは、PSVから世界的な選手となった。
国内のハーレム、フェイエノールトで活躍後、1985年にPSVへ。2シーズンで68試合46ゴールという記録を残すと、当時の世界レコードとなる移籍金でセリエAのミランへ移籍した。
ミランではその期待に応え、1年目の1987年にバロンドールを受賞。その後もフランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステンとのいわゆる「オランダトリオ」でクラブの黄金期を築き上げた。
ロマーリオ(ブラジル)
PSVでの成績:107試合96得点(1988~1993)
サッカー王国ブラジルではペレが神様と崇められるが、こと得点能力に関してはそのペレを凌ぐとも考えられているのがロマーリオだろう。
1994年ワールドカップを制したセレソンのエースストライカーは、小柄ながらもゴール前での卓越した技術と駆け引きにより、キャリア通算1000ゴール以上(ユース時代なども含む)を記録した。
そんな彼が、欧州で最初にプレーしたのがPSVだ。5シーズン所属し107試合96ゴールというとんでもない成績を残してバルセロナへと旅立っている。
ルート・ファン・ニステルローイ(オランダ)
PSVでの成績:67試合62得点(1998~2001)
オランダ代表とマンチェスター・ユナイテッドなどで大活躍したストライカー。パトリック・クライファートと全く同じ生年月日ということでも知られる。
彼が頭角を表したのはヘーレンフェーンだが、世界的な選手への足掛かりとなったのがPSVだ。1年目で34試合31ゴール、2年目で23試合29ゴールと大暴れ。3年目はケガで棒に振ったものの翌シーズンにはユナイテッドへ移籍した。
ユナイテッドでの活躍は伝説的といっていいだろう。5季で95ゴールを記録し、クラブの歴代ベストイレブンにも挙げられるほどだ。
ロナウド(ブラジル)
PSVでの成績:46試合42得点(1994~1996)
クリスティアーノ・ロナウドが有名となった昨今では“元祖”などとも呼ばれるロナウド。
ケガに悩まされた現役生活であったがその瞬間の最大値はまさに彼の愛称である“フェノーメノ”(超常現象)であり、今なおサッカー史上最高のストライカーに推す声が強い。
その彼も、ロマーリオと同じく欧州最初の地に選択したのがPSVだった。1シーズン目に33試合30ゴールという異次元の成績を残し、2年後にはバルセロナへ。その後の伝説は説明不要であろう。
パク・チソン(韓国)
PSVでの成績:88試合15得点(2003~2005、2013~2014)
韓国といえばかつてならチャ・ボムグン、現在ならソン・フンミンが有名だが、21世紀以降における「韓国最高の選手」といえばパクも候補であろう。
京都サンガでの活躍後、2002年ワールドカップでブレイクしたMFは、恩師フース・ヒディンクを追うようにPSVへ。2004-05シーズンにはペルー代表ジェフェルソン・ファルファンとの強力な両翼を形成しCLで4強入りを果たした。
その後はマンチェスター・ユナイテッドへ。アジア人選手として初めてUEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを掲げるなど、中田英寿らと並んでアジアの先駆者的な選手となっている。
アリエン・ロッベン(オランダ)
PSVでの成績:56試合18得点(2002~2004)
フローニンゲンからPSVに移籍し、そこから世界的な選手になったという点で堂安が参考にしたいのがこの男だろう。
地元フローニンゲンで16歳の時にデビューした左利きのウィンガーは、2002年にPSVへ移籍。1年目から12得点を挙げると、同シーズン終了後には最も輝いた若手に送られるヨハン・クライフ賞を受賞した。
2004年3月、移籍金1800万ユーロでチェルシーへ。以後レアル・マドリー、バイエルンで輝かしいキャリアを築き、今夏、惜しまれながら現役生活に別れをつげた。