【特集】米、LGBTを取り巻く医療環境の実態とは

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「LGBTQヘルスクリニック}が行った施設見学会で、LGBTQの医療ニーズや健康管理の重要性について訴えるボスクル医師(右から二人目)

 この夏、米テキサス州ダラス市に性的少数者(LGBT)が安心して通院できるプライマリーケア(初期医療)診療所がオープンした。ニューヨークやカリフォルニアなどLGBT人口が多く、リベラルな大都市にはLGBTのための医療サービスを提供する病院も複数あるが、テキサス州を含む同国南部や中西部といった大半の地域ではLGBTに特化した診療所を見つけるのは難しい。

 LGBTであることを公表している企業経営者や政治家、芸能人らが多数活躍している米国でも、日常生活のさまざまな面において、性的少数者に対する差別や偏見は根強い。特に保健医療分野では、必要なサービスを提供してくれる医療機関が見つからず、医療難民になってしまう人が多いのが現状だ。

▼LGBT人口は1100万人以上

 米国のLGBT人口は成人だけでも約1130万人と推計される。これは同国の成人人口のおよそ5%にあたる。テキサス州にはこのうち60万人が住んでいる。ダラス市の中心に近いオークローン地区はテキサス州でも最大のLGBT地区。目抜き通りである「シーダー・スプリングス通り」にはおしゃれな店やレストラン、ナイトクラブ、バーなどが集まり、LGBT文化の発信地としての活気にあふれている。

 そんな同地区にあるのが「リソースセンター」と呼ばれる支援団体。サポートグループやカウンセリングなどメンタルヘルスへの対応に加え、HIVや性感染症の検査と生活支援、また診断後の治療ができる医療機関への紹介といったサービスを通じて、LGBT住民の生活を支えている。

 しかし、LGBTの人たちが医療機関を利用するのは容易ではないのが現実だ。背景には、性自認や性的指向に対する社会の否定的な認識や医療機関側の知識不足がある。今回、「リソースセンター」が新設したプライマリーケア診療所は、LGBT患者が抱える切実な医療ニーズに応えるものなのだ。

▼先入観を持たずに

 「LGBTQヘルスクリニック」。同診療所に掲げられている看板にはこう記されている。「Q」は「クエスチョニング(性自認や性的指向を定めていない)」、または「クィア(性的少数者の総称)」の頭文字。性自認や性的指向にかかわらず、すべての人に開かれた診療所だという思いが込められている。

 診療所を率いるジーン・ボスクル医師は、ダラス市内で長い診療経験を持つ、HIVを含む感染症を専門とする内科医だ。LGBTQの受診者は、医師に自分の性をカミングアウトするかどうか悩んだり、診療所スタッフに性別に関する個人情報を話すことに抵抗があったりして、医療機関の受診に二の足を踏んでしまうことが多い。

 この診療所は他のプライマリーケアとどう違うのだろうか? ボスクル医師に尋ねた。

 「ここではすべてのLGBTQ受診者を尊重し、文化や社会背景に配慮した対応をするので、偏見の目にさらされるといった心配は無用です。定期健診から予防接種、HIV感染予防と治療、『ジェンダー・アファーミング・ケア(トランスジェンダーの性別適合に必要なさまざまなケア)』、生活習慣病、栄養・生活相談など、患者一人一人のニーズにあわせた医療をオールラウンドに提供していきます」。

 そう語るボスクル医師の口調は優しい。同時に、「心を傷つけられるのではないかと疑心暗鬼に陥りがちなLGBTQ患者の一人一人をありのままに受け止め、健康面から総合的な支援をしたい」という揺るぎない意思がひしと伝わってきた。

 実際、診療所ではプライバシーを始めとする患者への配慮が徹底している。このことが良く現れているのが、待合室での応対だ。スタッフが患者の名前や受診目的を声に出して尋ねることは決してない。受付の事務を含めたスタッフ全員が、受診者の名前や性別に対する先入観を持つことなく、受診者の意向に基づいて対応する。加えて、LGBTQのボランティアによるサポートもあるので、親しみやすい雰囲気となっている。

LGBTQの支援団体「リソースセンター」が開設した「LGBTQヘルスクリニック」=米テキサス州ダラス

▼医療教育の欠如

 一般のプライマリーケアでも、まれに「LGBTQフレンドリー」や「HIV・エイズケア」、「トランスジェンダー・ケア」などを掲げる診療所を見かける。それでも、数は圧倒的に少なく、LGBT地区周辺でさえ数えるほどしかない。

 米国のメディカル・スクールでは、最近までLGBTQ患者の問題を教育課程に含んでこなかった。そのため、医師もLGBTQ患者の医療ニーズや、適切なコミュニケーションの取り方について知識を持たない場合が多い。例えば、「男女といった二元的な性の枠にはまらない」と考えるクィアに対しては「he」「she」といった代名詞は使うべきではなく、一人であっても性別を特定しない「they」や「ze(男性でも女性でもない三人称を表す造語)」など、本人が希望する代名詞を使うといった配慮が求められる。

 ほとんどの医療機関では、こうしたLGBTQ受診者への対応が確立しておらず、受診者は嫌悪感を示されることを恐れて、医師に自分の性自認や性的指向について告げないこともある。また告げたところで、それに応じた医療ニーズに医師が適切に対応できるとは限らないのが現状だ。

 一例を挙げる。トランスジェンダーの患者が腹痛など一般的な症状で受診したとしても、性別移行に伴うホルモン療法を受けているというだけで、「専門外」として診療を断ってしまう医師も少なくない。また、HIV感染リスクが高いライフスタイルの患者に対して、感染予防の目的で事前にHIVの予防薬を服用する「PrEP(プレップ)」に必要な薬の処方に積極的でない医師もいるという。

▼取り残されるトランスジェンダー

 トランスジェンダーをめぐる環境はさらに厳しい。米国には140万人のトランスジェンダーがいると言われる。性自認やジェンダー表出の仕方に悩み、不安障害やうつになり、自殺を試みる人も多い。

 トランスジェンダーが自己肯定感を高め、自分らしく生きていくためには、そうした精神面のケアだけでなく、性別適合のためのホルモン療法や身体的な治療を含む総合的な「ジェンダー・アファーミング・ケア」が必要となる。

 日常的な健康管理も同様にきめ細やかな配慮が求められる。具体的には、トランスジェンダーの男性であっても、身体的状況に応じて子宮がん検診や乳がん検診の対象となる。HIV感染割合が高いトランスジェンダー女性も、定期的な検査や治療が欠かせない。

 近年、メディカル・スクールでは性自認や性的指向など基本的な事項を教える機会が増えている。それでも、こうしたトランスジェンダーのケアについて取り上げることはまだまだ少ないという。

 加えて、トランスジェンダーのホルモン療法および性別移行を含む「ジェンダー・アファーミング・ケア」をカバーしない医療保険が多いことも問題だ。このことを理由に受け入れを拒否する病院も少なくないので、トランスジェンダーが医療難民になる率は非常に高い。また、高額な医療費が負担となって経済的に困窮するトランスジェンダーやHIV感染者も多い。「リソースセンター」では新たな診療所の隣で、低所得のHIV感染者を対象とする無料の食事サービスや、食料品を提供するフードバンクも運営し、HIV感染者の生活支援も行っている。

▼差別禁止策は一進一退

 2010年3月に「オバマケア」とも呼ばれる「医療保険改革法」が成立した際、ヘルスケアや保険適用における年齢や人種、国籍、性別による差別の禁止が、第1557条で明示された。16年には、米保健福祉省が「性別による差別の禁止」には「男性、女性、どちらでもない、あるいは男性と女性の組み合わせ」という「心の性(性自認)」による差別も含まれるという定義を発表し、LGBTQに対する保護を拡大した。

 しかし、米国には保守的な信条や宗教的背景からLGBTQを受け入れない市民も多い。保守派の現政権下では、「性別による差別」の定義から、「心の性」という考え方を外して、伝統的な意味での「男性、女性」に限るという解釈変更を打ち出している。

 また、中絶や避妊、性別移行治療など医療従事者や医療保険会社らが「自らの宗教的、道徳的信条に反する保健医療サービス提供を拒否する自由の保障」を強化する規則変更も提案中だ。

 LGBTQの権利擁護者らは、これによりLGBTQの保健医療サービスへのアクセスが、さらに制限されることにつながりかねないと危ぶんでいる。米国の1130万人というLGBTQ人口は、東京都の23区内に住む人口を上回っている。これほどの人数がいるにもかかわらず、声を上げにくい人々の切実な医療ニーズは、なかなか満たされない。(テキサス在住ジャーナリスト 片瀬ケイ=共同通信特約)