「このまま大阪にいても極道しか道はない…」和田アキ子が壮絶人生を赤裸々告白

8月30日放送のTBS系「中居正広のキンスマスペシャル」(午後8:00)では、NHK紅白歌合戦出場39回を誇る日本を代表する歌手の和田アキ子が、激動の芸能生活51年間の表と裏、そして壮絶な人生を赤裸々に告白する。

番組では、和田がこれまでテレビで語ることのなかった自身の生い立ちについて口を開く。大阪市天王寺で4人きょうだいの長女として生まれた和田は、100人以上の門下生を持つ柔道の師範で100kgを超える巨漢の父に厳しく育てられ、中学1年生の時には黒帯で現在の身長(174cm)があり、そこらの男よりも腕っぷしが強かったという。しかし、恵まれた体格と身長の高さを理由に小学校時代はいじめられることが多く、最も恐ろしかったのは口より先に手が出る父の厳しいしつけだった。

小学校高学年の頃から父に反発するようになった和田はある日、「私は本当にお父さんの子どもですか? いつか、あんたが寝ている間に包丁で刺し殺して、私も死んだる!」と大ゲンカし、ついに中学1年生の時に家出。大阪・ミナミの繁華街や友人の家を泊まり歩き、夜は大人に混じって飲み屋街でたむろし、ケンカに明け暮れ、1年後には和田の存在を知らない者はいない不良番長になっていた。

芸能界に進む転機となったのが16歳の時。大阪のステージで歌っていると東京の芸能事務所の人間を名乗る男に「直接、社長に会ってほしい」と懇願され、後日、東京から角刈りにいかついスーツの怪しい男性が訪れる。その人こそ、現在、深田恭子や綾瀬はるか、石原さとみら数々のスターを抱える大手芸能事務所・ホリプロの社長・堀威夫氏だった。はじめは適当に話を聞いて断るつもりだった和田だが、期待を寄せてくれる堀社長の熱意に、「流されるままに生きてきた人生、このまま大阪にいても極道しか道はない…」とその場で芸能界入りを承諾。「大阪には二度と戻らない」と決心して、芸能人生が幕を開ける。

しかし、芸能界では今では考えられないような新人時代の生活や、先輩からのいじめなどが。それでも和田は悔しさをバネに歌い続け、1970年についに4枚目のシングル「笑って許して」が20万枚を超える大ヒット。この年、初めて紅白出場を果たす。

番組では、和田が31歳で結婚した夫との生活や、その裏にあった過酷で悲しい出来事、そして長い芸能生活での数えきれない出会いも告白。歳を重ねて気づく、感謝の重みなども打ち明ける。

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