京アニ事件、いまだ語られていないこと

 置き去りにされた事件前の検証 問われるべき支援の質

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 35人の命が奪われた京都アニメーションの放火殺人事件で、発生から1カ月以上が経過した今もまだ、語られていない大切なことがある。京都府警が逮捕状を取った青葉真司容疑者(41)は、過去に強盗などの罪で服役。出所の際、精神障害があったため司法と福祉機関が連携する「特別調整」という制度の対象だった。住んでいたさいたま市のアパートでは生活保護や訪問看護を受けていたとみられる。つまり、国がつくった累犯の障害者を支援する仕組みには乗っていたのに、事件を防げなかったことになる。何が足りなかったのか、どこに改善の余地があるのかという議論が置き去りにされている。

▽更生保護施設からアパートでの1人暮らしへ、そこで…

 青葉容疑者はさいたま市で育ち、定時制高校に進んだ後、一時期、埼玉県庁で非常勤職員として勤務。その後、28歳だった2006年に窃盗事件を起こし逮捕される。執行猶予判決を受け、職に就いたとみられるが、08年のリーマン・ショック後、仕事と住居を失う。08年末に茨城県内の雇用促進住宅に入居後、12年にコンビニ強盗で懲役3年6月の実刑判決を受けた。

 刑務所を出たのは37歳だった16年。この時点で精神障害があり、高齢や障害のある出所者を福祉サービスへ橋渡しする都道府県の「地域生活定着支援センター」が調整に入る。さいたま市内の更生保護施設で数カ月暮らした後、16年夏ごろから同市内のアパートで1人暮らしを始める。が、そこで、たびたび騒音トラブルを起こす。警察官が訪ねることもあった。事件の4日前には、隣室の男性の胸ぐらをつかみ「殺すぞ。こっちは余裕ないんじゃ」と迫るなど、切羽詰まった様子を見せていた。

過去に服役した精神障害のある男性(手前)と話す社会福祉法人「蒼渓会」の有野理事長

 ▽小さなトラブルでもすぐに気付ける態勢

 山梨県南アルプス市の社会福祉法人「蒼渓会」の有野哲章理事長(45)は事件前の青葉容疑者の様子に驚く。「そこまで荒れた状態になることは、うちではあり得ない」。蒼渓会は精神障害者のための施設を複数運営し、青葉容疑者のように過去に罪を犯した人も受け入れている。

 受け入れている人の罪の種類はさまざまだ。窃盗、器物損壊や殺人を犯した人もいる。5年ほど前から入所・通所の施設で約20人を引き受け、現在も十数人を支援する。これまで再犯した人は1人もいない。有野理事長はその理由をこう説明する。「ちょっとしたトラブルでもすぐに気付ける態勢を築いている。不安定な状態になったら職員が話を聞き、それでも落ち着かない場合は施設への転居や一時入院などで対応する」

 詐欺罪で2回服役し、作業所に通いながらアパートで1人暮らしする男性(63)は笑顔でこう話してくれた。「作業所で仕事したり仲間としゃべったり。忙しくて楽しい。もう刑務所には行きたくないね」。

 ▽クライシスプランとは?

 支援のポイントは、利用者の性格や障害の特性を事前にしっかり把握し、症状変化のサインと対処方法を決めておく「クライシスプラン」という取り組みだ。

 「イライラが増える→散歩したりおいしいものを食べたりして気分転換する」

 「ベッドに入って2時間以上たっても眠れない→3日続いた場合は病院に連絡して、早めに受診する」

 精神障害には波があることが多いため、重症化を回避する行動を取るよう、こんなふうにあらかじめ書面にまとめておくのだ。有野理事長は「プランを作る上で大切なのは、本人と話し合って納得してもらうこと。症状が悪くなったときに初めて『病院へ行こう』と言っても、うまくいかない。人間関係をつくっておくことが大事なので、職員の対人援助技術の向上にも力を入れている」と話す。

 クライシスプランは、罪を犯した人に対する特別な対処ではなく、利用者全員を対象にしている。「再犯防止の支援という意識ではなく、どんな環境が整えば幸せに生活できるのかを考えている」という。

 だが、「人手不足もあって、こうした実践はまだ広がっていない」と聖マリアンナ医科大の安藤久美子准教授(司法精神医学)は指摘する。「青葉容疑者には自分の気持ちを語れる相手がいなかったのではないか」としたうえで「現状では、逮捕後の精神鑑定や刑務所で把握した本人の特性が次の支援機関に引き継がれず、その点も改めるべきだ」と訴える。

 

放火殺人事件の現場となった「京都アニメーション」第1スタジオ前で手を合わせる女性

▽事件前の支援、検証を

 障害のある出所者が適切な支援を受けられず、また罪を犯してしまうという反省に立ち、司法と福祉機関が連携する枠組みを国がつくってから10年。青葉容疑者も支援の網から漏れたわけではない。問われているのは、支援の「中身」だ。

 さいたま市の福祉事務所にいる生活保護のケースワーカーは訪問や面会をしていたはずだし、訪問看護師もある程度は生活ぶりを把握していただろう。青葉容疑者の疎外感やいら立ち、妄想を受け止め、寄り添う人間が1人でもいたら。危険を察知して適切な対応を取っていたら。もしかしたら、京都アニメーションで働いていた35人の尊い命は失われずに済んだのかもしれない。

 責任追及をしたいわけではない。だが、青葉容疑者のように社会的に不利な条件に置かれた人間が地域で孤立せず、必要とされながら生きることのできる態勢を私たちの社会は、まだ築けていないということだ。インターネット上には「病院に閉じ込めておけばいい」といった反応もある。しかしそれでは精神障害者への偏見を助長し、一層孤立させるだけで、解決にはならないだろう。そもそも日本の精神科医療は入院に偏り、地域で暮らす支援が手薄だ。

「京都アニメーション」第1スタジオを調べる京都府警の警察官ら

 青葉容疑者に関わっていた訪問看護の事業所や、さいたま市は「個人情報」を理由に事件前の経緯を一切、明らかにしていない。しかし、具体的にどんな支援が提供されていたのか検証しなければ、再発防止の議論はできない。司法や行政、福祉・医療の関係者は、事件前の支援に関わる情報を開示し、それを基に再発防止に向けた検証をしてほしい。(共同通信=市川亨)