今週末、ノースロンドンダービーで激突するアーセナルとトッテナム。
この夏にはトッテナムがウィリアン・サリバのアーセナル移籍をハイジャックしようとしていたと伝えられた。
『Mirror』などを参考にして、両チームのどちらかが当事者となったハイジャック移籍を調べてみた。
パク・チュヨン
2011年、モナコ⇒アーセナル
2010-11シーズンにリーグアンで12ゴールを叩き出したパク・チュヨン。リールと移籍金や給与面で合意し、移籍はほぼ完了していた。
だが、メディカルチェックを完了させるためにリール関係者がホテルを訪れると彼の姿はなかった。
姿を消したパク・チュヨンはその時ユーロスターに乗ってロンドンへ急行。
アーセナルはリール以上の好条件を提示し、急転直下のハイジャック移籍となった。結局、アーセナルでは3シーズンで7試合にしか出場できなかったが…。
ポール・ガスコイン
1988年、ニューカッスル⇒トッテナム
イングランドサッカー界の偉人、ガッザ。紛れもない天才であったが、それと同時にお騒がせとしても並外れていた。
1988年夏、自分はマンチェスター・ユナイテッドと契約するとサー・アレックス・ファーガソンに約束。
だが、スパーズは家族の住居まで提供するオファーを提示する。さらに、サンベッド(日焼け用のベッド)まで追加したところで契約成立。ガッザ曰く、妹のサンベッドまで契約に含まれていたとか。
ウィリアン
2013年、アンジ⇒チェルシー
ロシアから渡英したウィリアンは、スパーズでメディカルチェックまで受けており、3000万ポンド(38億円)の移籍はほぼ完了していた。
だが、そこに割って入ったのは、チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモヴィッチ。
友人だったアンジのオーナーに直接電話を入れると、その2日後にウィリアンはスタンフォード・ブリッジへ向かうことに。
モウリーニョはスパーズがメディカルチェックを秘密裏にしなかったことをあざ笑ったとか。
エマニュエル・プティ
1997年、モナコ⇒アーセナル
その夏、ロンドン入りしていたプティはトッテナムと契約する寸前だった。当時のアラン・シュガー会長と会談すらしていたのだ。
だが、アーセナルがそれを察知。アーセン・ヴェンゲルも君を獲得したがっているとプティに知らせた。
「決断するための時間が必要だ」と言ったプティはスパーズが料金を支払ったタクシーでヴェンゲル宅に寄り道。そこで説得された彼はガナーズ入りを決断した。