倉敷の南山城跡、全容明らかに 鉄壁の城 川付け替え工事で姿消す

©株式会社山陽新聞社

南西上空から見た南山城跡。山の斜面に幾重もの防御施設が広がる。画面右上は高梁川(県古代吉備文化財センター提供)

 水陸の要衝を守る鉄壁の城―。岡山県古代吉備文化財センターが発掘調査する戦国期の山城、南山城跡(倉敷市真備町、船穂町)で30日までに、敵の侵入を妨げる徹底した防御施設の全容が明らかになった。

 城跡は高梁川と小田川の合流点にある小山(標高約70メートル)の上に立地し、北側には旧山陽道も通る。備中国を支配下に置いた毛利氏勢が交通の結節点に築いたとの説が有力で、築城、利用とも16世紀とみられる。

 圧巻なのは、山頂を取り巻く要塞(ようさい)のような施設群。2年半にわたる全面調査で、斜面を埋め尽くす「竪堀(たてぼり)」や切り立った人工の崖「切岸(きりぎし)」、土塁などが何重にも築かれた姿があらわになった。「山城のありとあらゆる施設を備え、絶対に落とされてはならないとの城主の覚悟を感じる」と同センター。

 ただこの堅城は、西日本豪雨で決壊した小田川の付け替え工事に伴い、10月末の調査終了後に山ごと姿を消す運命にある。同センターは9月7、8日、最後の現地説明会を行う。

連なる堀、人工の崖 防御は効果的配列

 県古代吉備文化財センターの調査により、防御遺構を中心に全容が明らかになった南山城跡。中世山城の全面発掘は全国でも数が少なく、敵の侵入を防ぐための効果的な施設配置や、城内での暮らしまで詳細に分かる成果に、城郭史に詳しい中井均・滋賀県立大教授は「今後の山城調査、研究の教科書になり得る」と評価する。

 城は東の高梁川、北の小田川に挟まれ、防御施設は南、西を中心に築かれていた。攻め手はまず、南側に並ぶ幅約2メートルの堀を21本も連ねた「畝状竪堀」で足止めを食らう。横切ることは難しく、堀に沿って登ることを強いるため、弓矢や鉄砲の格好の的となる。

 登りきった先には人工の崖「切岸」がそびえる。立ち往生する敵に、正面と側面から射掛けられるよう土塁などを屈曲させた「横矢」から再び攻撃。西の尾根からの侵攻に対しては、尾根筋を大きく断ち切る「掘切(ほりきり)」を3本配し、まさに難攻不落の様相だ。

 曲輪(くるわ)からは建物跡とみられる柱穴やなべ、すり鉢などの生活雑器、漁に使う土錘(どすい)、銅銭も出土。戦時に立てこもるだけでなく、城内で一定期間生活していた可能性があるという。高級品の天目茶わん、すずりも見つかり、「茶をたしなむような高位の武将が守っていたのだろう」と同センターの米田克彦総括主幹。ただ、実際に戦いが行われた痕跡は確認されず、「堅固な備えを見せることで、城攻めをあきらめさせる効果も狙ったのでは」。

 説明会は9月7、8日午前10時~正午と午後2時~4時。小雨決行。各回先着60人。希望者は4日まで(平日のみ)に発掘調査事務所(090―7138―5788)へ申し込む。

約50メートルにわたって堀が連続する「畝状竪堀」
人がすっぽりと埋まってしまう深さの「堀切」