韓国でも大ブーム、杏里の「タイムリー」はシティポップの第一関門! 1983年 12月5日 杏里のアルバム「Timely !!」がリリースされた日

アルバム『Timely !!』のジャケットを見ていると、終わりそうもない昭和の夏の夜明けが思い浮かぶ。

真昼の暑さが依然身についていない状態に耐え切れず、光沢が消えていない Mazda RX-3 に身を預け、首都高の緩やかな幹のようなラインを最速で走破したい人間が持つ加速の本能がマキシマムレベルに引き上がる。

輸出入を担当する社員が退社できずに灯りが点るビル。血気溢れる眠らない若者たちの部屋が、私が走らせている RX-3 の背景を明るく飾ってくれると信じている。おそらく車内のカセットデッキに入れるミックステープのトラック1はすでに決まっている。

私は昭和54年… 生まれて今日まで一度も日本の年号によって年齢を計算したことのない1979年生まれの韓国人だ。杏里の『Timely !!』が発売された1983年ごろは RX-3 ではなく、父親の運転する車の中で韓国人声優の声に吹き替えられた『銀河鉄道999』を車載テレビで一緒に観ていた。メーテルとテツローの旅路を機械の身体に対する認識も持たず、主題歌を懸命に歌った。父親と一緒に…

同じ言語を使わない他国で、歌手が人気を得るにはいくつかの条件が必要だが、まず、「音楽性」と「歌唱力」は先送りし、口から口へと伝わる「評判」と「影響力」をサポートしなければならないと思う。杏里が韓国で人気を集めたのは、後者の2つの要素が確実に大きな割合を占めている。

私と杏里の最初の出会いは、韓国でシティポップブームが始まる前、レコード店でアン・ルイスのアルバムを探していたとき、偶然手にしたデビューアルバム『杏里 -apricot jam-』だった。

尾崎亜美 作詞・作曲の「オリビアを聴きながら」、澄んだライトな声質を持ったこの声の主人公… 言語的情報の限界から、この歌手の性向を把握するのが難しかったのも事実。その時は、ただデビューに勢いがある歌手の一人だと思った。

しかし彼女は優れた素晴らしい歌声を持っていた。そして限界というものを知らなかった。その後も一流の多くのクリエイターたちの手を経てリリースを重ねて行く。杏里は歌を磨き鍛え、自ら卵を割って出て80年代のトップミュージシャンの仲間入りに堂々と自分の名札をかけた。

アルバム『Timely !!』は、怪盗が主人公として登場するテレビアニメのオープニング曲「CAT'S EYE」で砲門を開く。続く「WINDY SUMMER」で、角松敏生という優れたプロデューサーが、狼が歯を徐々に現すように力量を見せ始める。さらに、心を緩める「STAND BY ME」へと展開し、ターンテーブルの針が少しずつ内側に動く。

――「今日は祭りだ!」と感じさせるブラスのオープニングで「A HOPE FROM SAD STREET」が流れ、「YOU ARE NOT ALONE」が嵐の前の静けさを作り出す。そして、ついに私がミックステープの1番トラックに録音したい曲へと向かう。ひと呼吸して、レコードのB面を再生させると、角松の咆哮が始まる。

印象的な前奏と簡単について歌えるリフレインがリスナーの鼓膜の中に入り込み「もうお前は抜け出せない! シティポップの迷宮にはまった」と彼らの手に落ちたことを知らされる。そこには拒否できない未知の領域が描かれた新しい音楽地図が広がっている。

何気なく聴いていると、角松の1983年のアルバム『ON THE CITY SHORE』と編曲の交差点も存在する。適材適所に管楽器を使う賢明なボスだ。そして、何よりも杏里の適切に感情が節制された声―― 作曲家と作詞家、そして編曲者の意図を正確に理解している。

2000年代、日本から韓国に到達したシティポップ・ブームは、杏里を「シティポップの女神」にするに十分だった。誰もが白日の下、青い窓の中に杏里が見える瞬間、夏を思い出してリフレイン ♪ I Can’t Stop The Loneliness と歌う。

韓国のリスナーたちは、YouTube で先に接した『Timely !!』の楽曲に、十分に熱狂、再販売されたレコードを手に入れようと努力する姿がインターネット上でよく目につく。日本のリスナーの中にはこれに同意しない方も多いが、韓国では杏里のこのアルバムが「シティポップ」と名付けられた音楽ジャンルで第1関門の役割を果たしているのである。

そう、少なくとも韓国のリスナーたちが大貫妙子の深化した世界に関わる前、間宮貴子の不可思議なミッドテンポから来る緩いグルーブに身を任せる前に、これから歩く音楽の指向性によって、自分が歩かなければならない方向を地図に指定できるベースキャンプ、それが杏里なのだ。

これが、私が把握している杏里の過去の一部とディスコグラフィ、彼女の現在の韓国での地位を考えるようになった理由と意見だ――。

様々な理由で大部分の日本歌手の活動が活発でない韓国だが、公演が確定すれば日本とは違う若い年齢の観客層が増えることだろう。あどけない顔の若者が昭和36年に生まれたアーティストの声に熱狂する姿も楽しい光景ではないだろうか。

韓国のリスナーにとって、杏里はデビューしたばかりの新人と同じだ。彼女にも新鮮な衝撃が訪れるいい機会ではないか。責任を負うことはできないが、杏里さんに韓国公演を推薦したい。彼女が早いうちに成田の北ウィングで韓国行きの飛行機の出国手続きを終えることを強く熱望する。

余談であるが、2021年に還暦を迎える杏里が赤い頭巾ではなく赤いハイヒールを履き、チャンチャンコの代わりにレッドドレスを着て韓国の舞台に立つ姿を想像してみる。そして公演中、ゲストギタリストには韓国で活発に活動している長谷川陽平さんをお勧めする。

ここで興味深いことは、日本の名優、竜 雷太さんの息子でもある長谷川陽平さんが現在韓国でシティポップのアンテナ役を務めているという点だ。いかなる理由であれ、韓国に来て長い期間ギタリストとして韓国のバンドで活動してきた人物。彼が瞬間の道楽なのか、あるいは真摯な姿勢でシティポップを基本にしたディーゼリングをしているのか、その理由は分からない。日本国内での父親の影があまりにも大きく、より自由に生きるための開拓地として韓国が選ばれたのではないかという気もする。

何はともあれ、長谷川陽平さんが活動したバンドの名声と彼の持つ影響力が加わり、シティポップの拡散に肯定的なシナジーが韓国において発散されることは心よりありがたいことだ。ただ、ゴリさんがこれをどう受け止めるかは分からない…(冗談だ)

最後に、もし杏里の韓国初公演が実現すれば、それは同時に長谷川陽平さんの手柄でもあることは否定できない事実だ。今もソウルだけでなく、シティポップのファンがいる多くの都市を一生懸命に訪問している彼に敬意を表したい。

※2019年3月15日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 瞬間少女

© Reminder LLC