せつなさも魅力の早見優「夏色のナンシー」に至るまでの哀愁路線♪ 1982年 10月19日 早見優のサードシングル「アンサーソングは哀愁」がリリースされた日

1982年4月、南の風を運んで颯爽とデビューした美少女になんとなく既視感を覚えたのは、それより11年前、本土返還前の沖縄からやってきた南沙織の姿を重ね合わせたからかもしれない。… などという書き出しを考えてみたのだけれど、南沙織のデビュー時には自分はまだ小学1年生だったから、そんな視点は持ち合わせていなかった。嘘はいけないのだ。

南沙織の歌はもちろん当時から耳に入ってきてはいたが、どちらかというと後追いでしばらくはタイトルと曲が一致しなかったというのが正直なところ。いたいけな小学生は、その翌年にデビューしたもう少し解りやすいアイドル、麻丘めぐみのファンになった。よく見るとシンシアよりも、むしろめぐみちゃんの歌の方に官能的な言葉が見え隠れしたりするのだが、それは双方の作詞を手がけた作家、有馬三恵子と千家和也の資質の違いであっただろう。

ライバルでありながらもずっと仲がいいことで知られる二人には、それぞれの代表作「17才」と「わたしの彼は左きき」そのどちらも筒美京平の作曲という共通点がある。そしてそれは10年以上の時を越えて登場した80年代アイドル早見優も同じ。… と、これでやっと本線に戻る。

早見優の曲といえば、やはり「夏色のナンシー」が筆頭に挙げられるわけで、1983年のコカ・コーライメージソングとして CM でも盛んに流されていたキラッキラのサマーソングに僕らは魅了された。デビュー2年目、彼女にとって5枚目のシングルにあたり、初めての筒美作品。

この大ヒットを受けて、以降「渚のライオン」「ラッキィ・リップス」「誘惑光線・クラッ!」といった明るくポップな作品が続くのであるが、そこに至るまでの、今やまったく語られなくなってしまった哀愁路線を今一度見直したい。

デビュー曲となった「急いで!初恋」は、ハワイ育ちで英語も堪能な彼女のイメージにピッタリな “太陽の子” をイメージさせる弾けた曲で、資生堂「バスボン ヘアコロンシャンプー・リンス」の CM ソングとしてヒットした。

セカンドシングルも同路線かと思いきや、続いて出された「Love Light」はテンポ感はありながらもマイナー調で少し哀愁を帯びた曲で少しトーンダウン。これから夏休みの時期を迎える7月のリリースであり、秋に向けての曲だったにしてもちょっと物足りない気がしたのは否めない。それでも後半の英語詞になるところなど、これは彼女にしか歌えないアイドルポップスだと好んで聴いていたのだが。

さらに10月にリリースされた「アンサーソングは哀愁」は、タイトルがすべてを物語っている。先に出されてヒットしていたバーティ・ヒギンズ「カサブランカ」を郷ひろみがカヴァーした「哀愁のカサブランカ」のアンサーソングで、意外にも阿久悠×馬飼野康二によるオリジナルだった。

萩田光雄のアレンジにより「哀愁のカサブランカ」のイメージが強調されており、この曲を歌っている時の早見優の抑え気味の表情が好きだった。少女が大人に見られたくて背伸びする感じというのだろうか。当時は本家に似ていることばかりが取り沙汰されたが、切り離して聴くとなかなかの佳曲なのだ。

4枚目のシングル「あの頃にもう一度」ではさらに地味になってしまった感がある。 作詞・作曲が松宮恭子で、他作品ではわりとポップなイメージがあるにも拘らず、早見優のこれまでの全キャリアの中でも一、二を争うくらいの目立たないシングルになっている気がする。彼女のキャラクターと照らし合わせて当時は「マイナー路線はもういいよ」ともどかしさを感じたものだが、この曲もまた改めて聴くと良さが解る。

とはいえ、レコード売り上げはデビュー以来きっと下降線をたどっていたはずで、その辺りの反省を活かしつつ満を持して送り込まれたであろう新曲が83年4月リリースの「夏色のナンシー」だったわけで。

おそらく早見優自身もようやく解き放たれた気がしたのではなかろうか。ミニスカートで活き活きと歌う姿は水を得た魚の如く輝いて見えた。しかしその前に連なっていた哀愁ナンバーを健気に歌う彼女のせつなげな表情も忘れられないのである。

カタリベ: 鈴木啓之

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