〈佐賀豪雨〉大町・武雄「避難所生活いつまで」

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ボランティアのマッサージを受ける女性。避難所暮らしで体への負担が大きくなっている=1日午前、杵島郡大町町の大町町公民館(撮影・米倉義房)

 九州北部を襲った豪雨の爪痕が深く残る武雄市や杵島郡大町町では、自宅が浸水するなどした被災者の避難生活が続き、疲労の色が濃くなってきている。避難所を歩き、避難者を取り巻く現状や心情をたどった。

■自宅の後片付けも…疲労色濃く

 大町町公民館にはボタ山わんぱく公園の斜面が崩れた8月28日以降、周辺の住民が避難し、現在は147人が身を寄せている。畳の部屋で寝泊まりする女性(63)は「最初の2日間は人が多くて狭かった。じっと座っていて腰が痛くなった」。就寝時に敷くマットがある一方、座布団を枕代わりにしているうちに首や肩も痛くなった。1日はボランティアの整体師に体をもみほぐしてもらい「だいぶ楽になった」とこぼした。

 ここではペットは受け入れていない。出入りする人たちの中に、アレルギーを示すケースも考えられるためだという。飼い始めて14年目になる愛犬を自宅に残してきた女性(77)は「子どもがいない私にとっては子どもと一緒。頭にあるのはあの子のことばかり」と話す。許可をもらい自宅に戻ると、普段と違って室内でふんをしていたり心細そうな表情を見せたりするといい、「預ける施設があれば安心なんだけど…」と先行きを案じていた。

 1日午後3時現在の大町町内の避難所は3カ所で、避難者は284人。武雄市内は5カ所で83人に上る。日中は浸水被害を受けた自宅の後片付けで出掛ける人が多く、閑散とする。避難所の北方保健センター(武雄市北方町)の男性スタッフは「避難者数は当初からほとんど減っていない。この状態がいつまで続くのか検討もつかない」と、事態の長期化が避難者に及ぼす影響を懸念した。

 避難者数が減少傾向にある武雄市朝日町の朝日小体育館にはカップ麺や水、トイレットペーパーなどの物資が積まれ、避難者以外の被災住民らにも配られていた。

 被災した市内の実家に住む親のため、佐賀市から受け取りに来た女性(37)と義理の妹(35)の姿もあった。実家は1990年の豪雨でも被災し、女性らは家族だけで後片付けに追われた。今回は大勢のボランティアの加勢を受けて作業が一気に進み、こうした力が復旧の原動力になっている時代の変化を感じる。女性は「私たちもボランティアをしたい」と話す。

 午後5時すぎ、避難所の一つ、大町町総合福祉保健センターに避難者が戻り始めた。佐賀鉄工所大町工場から流出した油で自宅が被害を受けた人が多く、清掃作業を終えた後なのか、ズボンをまくり上げて疲れた表情を浮かべていた。

 道路の冠水で、30日まで孤立状態にあった順天堂病院(大町町)に妻が入院しているという山口久人さん(65)は、この日も自宅に戻って汗を流した。「病院が孤立したと聞いた時は自分より妻のことが心配だった。今でも病院に問い合わせても、いつ面会ができるか分からない状況で、不安で仕方ない」と唇をかんだ。

避難所で昼食後、再び自宅の片付けに戻る兄弟。「だいぶ片付いてきたが、まだ数日かかるかな」と話した=1日午後、杵島郡大町町の総合福祉保健センター