コンビニから成人向け雑誌が消えた日 住宅街の自販機でも買えた平成は本格的に終わった|中川淳一郎

こんな光景は、もう……ない(写真はイメージです)

コンビニからいわゆるエロ本が撤去される動きが数年前から出ているが、平成の前期にはエロ本の自販機がそこかしこに存在した。エロ本自販機時代末期は近づかなくては表紙が見られないような加工が施されていたが、それ以前の自販機にはなんの加工もなく遠くからでも表紙が見え放題だった。

Wikipediaには「自販機本」の項目があるが、以下のように説明されている。

自販機本(じはんきぼん)とは、1970年代中頃から1980年代中頃まで自動販売機で売られていた成人向け雑誌である。ビニ本やアダルトビデオといったエロメディアが登場するまで、日本のエロ文化の中核を担った

ここには「1980年代中頃まで」という記述があるが、私が大学に通い始めた1993年、大学の近くにはまだあった。東京都小平市の西武多摩湖線一橋学園駅から一橋大学小平キャンパスまでの一本道にその自販機は存在した。近くには小学校があるにもかかわらず、住宅街のメインロードに堂々と鎮座していたのである。

確実にラインナップは変わっているようで、それは雑誌がキチンと売れていることを表している。当時大学は24時間入り放題で、深夜に部室で宴会をすることもよくあったほか、地方出身者が多いだけに大学近くにアパートの部屋を借りている者も多かったため、そいつの家で飲むこともあった。

一体いつ売れているのだろうかと当初は思っていたのだが、こうした宴会の時に酒が足りなくなりコンビニに買いに行くと、自販機の前で周囲をきょろきょろと見ながら雑誌を選んでいる男がけっこうな確率でいるのである。堂々と買う男も時々いたが、少し恥ずかしそうに買うのがエロ本自販機購入時における作法だったのだろう。

この頃、深夜の屋外の風物詩といえば、このエロ本自販機購入男に加え、公衆電話で恋人に電話をしているであろう男女の存在だった。大学の寮の場合は自分専用の電話などないし、一人暮らしをしているにしても、当時は電話加入権が7万2000円もしたため、自宅に電話がない者もいた。

さらには偽造テレホンカードが横行していたため、公衆電話を使った方が自宅でかけるよりも安い、という点もあった。片や恋愛を語り合う男女と、今宵の「おかず」を求める男。このコントラストも1990年代前半の青春を感じる夜の風景である。

もう一つ記憶に鮮明な雑誌自販機といえば、東大駒場キャンパス裏にあった自販機群である。昔、鰻の寝床のような自販機エリアってあったじゃないですか。清涼飲料の自販機がいくつかあり、カップ麺の自販機、ハンバーガーの自販機、さらにはアイスクリームの自販機もあったりする場所が。そしてベンチが置いてあったりする場所が。

駒場キャンパスの裏にはエロ本自販機だけが並ぶ自販機コーナーがあった。1993年当時、私は下北沢で友人と飲んだら歩いて山手通りを通り、駒場キャンパス内の自治領「駒場寮」で寝るのがいつものパターンだった。

「今日はエロ本自販機屋に行こうぜ」とマサが言った。「いいねぇ!」と他の3人も同意。「エロ本自販機屋」という言い方も変ではあるが、自販機が複数あるから「屋」がついたのだろう。

挑発的なポーズを取る裸の女性が何人も登場する表紙に興奮したマサは雑誌が欲しくなったようだ。だが、カネがない。そこで「おーい、出てこいよぉ!」と叫びながら自販機を揺らした。

そんなことでエロ本が落ちてくるわけもないのだが、なんと、突然自販機から「ブーブー」と警告音が鳴り始めたのだ! 当時、監視カメラがあったかは疑わしいうえに、警備会社とも繋がっていたかは分からないが、狼藉者の登場には警告音で対抗する程度の機能が自販機にはついていたのだ。

我々は大慌てで外に出て脱兎のごとく山手通りを渡り、東大キャンパス内に入った。

「やべーな、警察に通報されたかな」
「やべーな」
「でも、大学は自治権があるから警察権力は入れないはずだ。ここにいればひとまず安心だ」

などと、いっぱしの犯罪者のごとき会話をするのだ。もちろんこんなことで我々の元に捜査の手が及ぶことはなかったものの、あの警告音を聞いて以来、我々は下北沢から帰る時、「エロ本自販機屋」に行くことはなくなった。

あの場所は今はもうない。

現在セブン-イレブンがあるエリアには居酒屋もあり、そこの2階の座敷では常連客が店のお姉さんのスカートに頭を突っ込んでお姉さんからスカートの上から頭をボコボコに叩かれる、といった風景もあった。

たかだか26年前の話だが、今考えるととんでもないことが当たり前の時代だった。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)

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