浜田省吾「J.BOY」少年だった大人たちよ、今こそこのアルバムを! 1986年 9月4日 浜田省吾のアルバム「J.BOY」がリリースされた日

浜田省吾の10枚目のアルバム『J.BOY』が発売されたのは、1986年9月4日。2019年は発売33周年。ちなみに、2016年11月9日には、アルバム『J.BOY』の30周年を記念して、2万セット限定の『J.BOY 30th Anniversary Box』と完全生産限定盤『J.BOY 30th Anniversary Edition』が発売されている。

『J.BOY』は、僕にとっての “神アルバム” である。アルバム全体で1つの物語のようになっているこの作品は、2枚組であるにも関わらず捨て曲は1曲も無い。1986年、大学3年生の僕は、この完璧かつ傑作と言っていいアルバムを毎日聴きまくっていた。

ひとつ前のアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』で描かれた、小さな工業都市で育った少年たちの姿。それはまさしく浜田自身にも重なっていて、その少年たちがその後どうなったかというのが『J.BOY』なんだと彼は言っている。最初は2枚組にするつもりはなかったようだが、少しずつ曲を作っていくうちにどんどん曲数が多くなっていって、かなり出来た段階で『J.BOY』というものの焦点が合ってきた、とも。

少年が街に出たり、大学生になったり、社会人になったりして、その中でどうしてもデビュー曲の「路地裏の少年」の再収録が必要だったし、「遠くへ」とか「19のままさ」という「路地裏の少年」を作っていた時期の曲も必要だったとのことだ。「遠くへ」は、学生運動というテーマがヘビーだという理由でストックしてあった曲、「八月の歌」や「A NEW STYLE WAR」は戦争をテーマにした曲、これらもラインナップに入れてみた時に全部がフィットして、結果的に2枚組の大作になったようだ。

つまり、この『J.BOY』は、デビューから10年目の節目を迎えた当時の浜田省吾の集大成の作品と言っていいと思う。浜田省吾が初めてオリコンチャートで1位を獲得した、この圧倒的なメッセージ性を持つ『J.BOY』は、今聴いてもまったく色褪せることはない。むしろ今、この年齢になってから聴いた方が歌詞の重みがよりわかり、当時より感動している自分がいることに気付く。

タイトル曲でもある「J.BOY」は、バブルを目の前に経済大国になっていく日本と、自分自身の生活との微妙なズレ(格差)を歌った曲だ。尋常ではない好景気に向かって突き進んでいく時代にあって、浜田省吾はその “非尋常さ” を微妙に感じ取っていたのではないだろうか。本当の豊かさとはなんだ、金ではなく心の豊かさの方が大切ではないのか、と警告を発するがごとく「J.BOY」という曲を世に送りだしたのではないだろうか。

「J.BOY」とは “Japanese boy” という意味だけれど、“いつまでも子供の日本” というニュアンスも込められていると言われています。浜田省吾が “頼りなく豊かな国” と皮肉ったこの国は、果たして大人になれたのでしょうか。「J.BOY」をテーマソングにするような政治家が出てきてくれれば、僕は絶対に1票投じるけどなぁ。

※2016年10月28日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 藤澤一雅

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