馬場雄大、Bリーグ・ファイナルMVPの“渇望” W杯、五輪、そしてNBAへ

21年ぶりの自力ワールドカップ出場、44年ぶりのオリンピック出場に沸くバスケットボール男子日本代表。多くの問題を孕んでいた協会とトップリーグが再生し、ポジティブな話題の多い日本のバスケットボールだが、明るい見通しが立ちはじめた大きな理由は新世代の台頭にある。Bリーグ王者・アルバルク東京、日本代表の馬場雄大は、さらなる成長を渇望している。

(文=大島和人、写真=Getty Images)

疑いようのない能力 それでも現状に満足しないハングリーさ

代表選手の父を持ち、誰もが認めるトップクラスの才能。しかし彼からエリートっぽい「気取り」を感じたことは一度もない。いつもバスケットボールに対して真っ直ぐで、ハングリーだ。

馬場雄大は1995年11月生まれの23歳。198cm・90kgで、もう少し筋肉をつければインサイドも務まるサイズだ。一方で所属するアルバルク東京のルカ・パヴィチェヴィッチヘッドコーチが「ポイントガード以上にクイック」と馬場を評していた。ポジションはスモールフォワード、シューティングガードで、とにかくよく走れて跳べる。中長距離のシュート力はもう少しつけてほしいが、ハンドリングや発想力でファンを楽しませるタイプでもある。

今年2月に終わったワールドカップ予選でも、馬場は国際バスケットボール連盟が世界中の予選から選ぶ「今節のベストダンク10選」の常連だった。日程の重複もありNBAプレイヤーがほとんど予選に参加しなかった経緯はあるが、彼はアスリートとしてアフリカやヨーロッパの「身体能力自慢」に全く引けを取らない。リバウンド、スティールからの速攻で一気に運んでダンクを叩き込むムーブはまさに十八番だ。

5月11日に行われたB1チャンピオンシップファイナルでは、アルバルク東京の連覇に貢献してMVPも獲得している。12得点、12リバウンド、6アシストという結果を見ても、文句のない受賞だった。相手の千葉ジェッツにも2m超のリバウンド自慢はいたが、馬場は身長で負けても高さで負けない。チームメイトとの連携にも助けられ、チーム最多の12リバウンドを記録した。

また彼はピック&ロールと言われる攻撃のコンビプレーで、ハンドラーを任されることが多い。ドリブルの安定感や、ギリギリまで相手の動きを見て逆を突く判断力を持っているからだ。ファイナルでは相手がアルバルク東京のピック&ロールを封じに来た中で、収縮したDFを見極めて味方を使うアシスト力も光った。

オールラウンダーとしての原点は富山一高時代にあり

彼こそは日本代表とBリーグのスターだと我々は太鼓判を押したくなる。ただ馬場のコメントからは、良くも悪くもそういう自覚が伝わってこない。

ファイナル前日の記者会見で、彼は「僕の役割はチームに勢いを与える泥臭いプレー」と口にしていた。速攻からのダンクはもちろん大きな魅力だが、そこへ至る相手ボールに激しくプレッシャーをかける守備、身体を張ってリバウンドを確保する献身に馬場はこだわっている。

15日のBリーグアウォードでは「ベスト6thマン賞」に輝いたが、馬場はこう述べていた。

「大変光栄な賞だとは思うのですが、今シーズンはベスト5を目指してプレーしていたので、まだまだ自分のパフォーマンスに満足していません。この結果で満足するわけにはいきません。これから先、NBAプレイヤーになるという大きな夢を叶えるためにも、まだまだ練習に励んでいきたい」

普段の試合後も「いまいちだった」「良くなかった」とコメントすることが多い。それを決して不機嫌な様子でなく、サラッと口にする。日本代表の主力なのだから当然なのもしれないが、彼は満足の基準が他の選手より高い。自信がないのでなく「もっとできる」という思いがあるからこその謙虚さだろう。

謙虚な逸材は富山市で育った。富山は有力選手が他県の強豪に流れる土地柄だ。一方で馬場の父・敏春氏は富山第一高の監督。富山第一は彼が高3のときに全国高校サッカー選手権大会制覇を成し遂げたスポーツの名門だが、バスケの強化にそこまで力を入れていたわけではない。しかし逸材の存在を知った学校側は、「監督の息子」と県選抜のチームメイトを県内で引き受けようと動く。

馬場は振り返る。

「ジュニアオールスターが中2のときにあって、それを終わったくらいにいくつかの高校から話があったんです。僕は県外に行くんだろうなと思っていたんですけど、富山第一の監督をしている父から『やってみないか』って言われて。そのときは『考えさせて』みたいにいったんですけど、富山でやるのも悪くないかなと思って決断しました。しっかりと机の前に座って、姿勢を正して『やる』って(笑)。進路で悩みましたが、今思えば富山第一にして良かったなと思います」

高校2年、3年と出場したウィンターカップはいずれも初戦負けに終わった。しかし父は息子の将来を見据えた指導で、可能性を広げた。

「富山第一ではボール運びだったり、色んなところをやらせてもらった。それでオールラウンドなプレーが培われたのかなと思います」(馬場)

相手校の監督として観察していた松倉弘英・富山県バスケットボール協会専務理事はこう振り返る。

「奥田中のときもよく(練習試合に)来ていたんですけれど、馬場は接触プレーが嫌いで、ソロソロっと外に出ていってしまうことがありました。ただアンダーカテゴリーで全日本に入ってから、変わってきたのは見ていて分かりましたね」

おそらく彼に「俺はもっとできる」「やらなければいけない」という自覚が芽生えた時期なのだろう。アンダーカテゴリーの日本代表だった杉浦佑成が筑波大志望だったこともあり、馬場は筑波大進学を決める。

日本一のその先に見据える世界とNBA

高校卒業後はここまで5季連続で日本一に輝いている。筑波大では入学直後から別格の活躍を見せ、3年次にはルカHCが率いる日本代表に選出された。

馬場は大学4年の夏にルカHCにとともにアルバルク東京入りを決める。大学に在籍しながら、部の了解を得て4年秋の最終シーズンを前に「中途退部」するアーリーエントリーだった。高校時代から海外志望を持っていた彼だが、ルカHCは緻密な指導で選手の個を伸ばす手腕に長けている。そしてアルバルク東京は練習の環境、サポートが恵まれているクラブ。どの進路が自分の能力を伸ばすかを図った上での、冷静な判断だった。

彼が「現状に満足しない」のはある意味で当然だ。富山市立奥田中の後輩には馬場の何歩も先を行く逸材がいる。6月のNBAドラフトで上位指名が有力視されている八村塁は、奥田中の2学年後輩。坂本穣治コーチという名伯楽の腕があるにせよ、日本の“トッププロスペクト”でもある2人が公立中のバスケ部で一緒にプレーする奇跡的な巡り合わせだった。念のため説明すると2人はいわゆる越境でなく学区内から奥田中に通っていた。

4月の取材でも「同じ日本代表として、後を追う者として、負けてられないなって気持ちもある」と“海外進出の先輩”から受ける刺激を語っていた。

8月31日には中国でワールドカップが開幕し、来夏には東京でオリンピックも開催される。馬場に寄せられる期待は当然ながら大きい。もう一つの注目は「海外に出るタイミング」だ。彼は英語の勉強にも励んでいると聞くし、Bリーグのオフ期間に開催されるNBAのサマーリーグに参加する方法もあるだろう。

いずれにせよ23歳の馬場にはまだ大きな可能性がある。その成長への強い渇望は、きっとさらなる成長の糧となるはずだ。

<了>

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