【MLB】3度偉業のバーランダーを超える偉人の凄み 7度達成ライアンと4年連続コーファックス

3度目となるノーヒットノーランを達成したアストロズのジャスティン・バーランダー【写真:Getty Images】

ノーヒットノーラン3度は史上6人目、メジャー15年目の36歳で達成

 アストロズのジャスティン・バーランダーが現地9月1日、トロントでのブルージェイズ戦でノーヒットノーランを達成した。タイガースに所属していた2007年6月12日のブルワーズ戦、2011年5月7日のブルージェイズ戦に続く3度目の達成。2011年は投手3冠(勝利、奪三振、防御率)に輝き、サイ・ヤング賞とMVPにも選出された。「前回の2011年は若手投手として絶頂の時だった。翌年まではよかったが、その後は故障に悩まされた。そこからのカムバックの過程はやさしいものではなかった。他人の目に触れないところで努力を重ねた」と米メディアに語っていた。メジャー15年目の36歳。ベテランの域に達しての偉業には、若い頃の2度とはまた違った喜びがあっただろう。

 ノーヒットノーラン3度はメジャー史上6人目である。その6人を以下に挙げる。

・7度 ノーラン・ライアン(エンゼルス、アストロズ、レンジャーズ)
・4度 サンディ・コーファックス(ドジャース)
・3度 ラリー・コーコラン(カブス)、サイ・ヤング(スパイダース、レッドソックス)、ボブ・フェラー(インディアンス)、ジャスティン・バーランダー(タイガース、アストロズ)

※()内はノーヒットノーランを達成した時の在籍球団。スパイダースは消滅。

ライアンは7度達成、その他に1安打完投が12度も…

 バーランダーの上にはライアンとコーファックスの2人がいる。ライアンはご存じ、史上最多の通算5714奪三振を誇る剛球投手である。

 1度目はメジャー7年目でエンゼルス在籍時の1973年、5月15日のロイヤルズ戦だった。3四球、12奪三振での偉業達成。2か月後の7月15日のタイガース戦では早くも2度目をマーク。4四球、17奪三振だった。

 最後の7度目はレンジャーズ3年目で44歳だった1991年。5月1日のブルージェイズ戦で2四球、16奪三振だった。

 ノーヒットノーラン7試合だけでじゅうぶんすごいのだが、驚くべきはこの他に被安打1で完投した試合が12もあることだ。これは3度のノーヒットノーランを記録しているフェラーと同じ数でメジャー史上最多だ。ちなみにライアンは2安打完投が18試合、3安打完投が31試合あり、これらもメジャー史上最多である。

 もし1安打完投試合がすべてうまく行けば、ライアンのノーヒットノーランは19度という、とてつもないことになっていたところであった。

 最初の1安打試合はメッツにいた1970年の4月18日、フィリーズ戦。初回先頭打者に安打を喫しただけで7-0の1安打完封だった。1973年には前述の通りノーヒットノーランを2度成し遂げているのだが、その他に8月29日、ヤンキース相手に1安打完封を演じている。

 惜しかったのは1979年7月13日のヤンキース戦と、1989年4月23日のブルージェイズ戦。いずれも9回1死までノーヒットに抑えている。そして、ともに1点を失って完封を逃した。

 1989年には6月3日のマリナーズ戦でも1安打完投を演じている。また、この年には1安打完投2試合以外にも惜しい試合があった。

 4月12日のブルワーズ戦では7回までノーヒットノーラン。8回に先頭打者を歩かせたあと、現在インディアンス監督のテリー・フランコナに初安打を喫した。

 6月25日のインディアンス戦では8回2死まで、8月10日のタイガース戦では9回1死までノーヒットに抑えた。

 9月30日のエンゼルス戦ではコントロールもよく、8回1死までパーフェクト。この試合は結局無四球で3安打完封勝利だった。

 46歳で引退するまで変わらずパワーピッチャーで打者を圧倒したが、コントロールに難があって四球はつきもの。パーフェクトゲームがないのは彼らしいと言うべきだろう。

コーファックスは4年連続でノーヒットノーランの離れ業

 メジャー生活27年のライアンと対照的に、コーファックスは12年間。全盛期は1961年から引退する1966年までの6年間と活躍期間は短かった。その代わり、その間の印象は強烈だ。

 成績はすごいとしか言いようがない。6年間で最多勝3度、最優秀防御率5度、最多奪三振4度、サイ・ヤング賞に3度、MVPに1度選出され、オールスターには7度選ばれた(1961年にオールスターは2回開催)。

 最初のノーヒットノーランが1962年6月30日のメッツ戦で、それから1963年、1964年、1965年と4年連続で達成する。

 ライアンと違ってコントロールもよく、4度目となった1965年9月9日のカブス戦では14三振を奪ってパーフェクトゲームを成し遂げた。

 ちなみに1964年6月4日のフィリーズ戦で3度目のノーヒットノーランを果たしているが、この試合で許した走者は四球による1人だけ。その走者も盗塁死で、結局打者27人で終えた。もし四球の走者がなければ、史上唯一のパーフェクトゲーム2度の大記録を残していたことになる。

 そんな大投手は30歳で球界を去った。最後の1966年はリーグ最多の27勝、ベストの防御率1.73、最多の317奪三振で投手3冠だったが「体力の限界」と引退した。

 成績を見ると、どこがどう限界なのかさっぱり分からないが、酷使を続けてきたため肘や肩はぼろぼろだったという。

 当時の先発投手は、現在の中4日より過酷な中3日で回っており、エースと呼ばれる投手は年間40試合以上先発し、300回以上投げることは珍しくなかった。コーファックスは1963年、1965年、1966年と3度、40試合以上先発して300回以上を投げた。

 そうした時代に4年間で4度のノーヒットノーランを成し遂げたのだった。(樋口浩一 / Hirokazu Higuchi)

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