【熊本城のいま】 奉行丸の石垣 角だけ崩落

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角の部分が崩れた奉行丸の南東の石垣=2016年10月

 熊本城の石垣は、熊本地震で全体の1割に当たる約8200平方メートルが崩落した。熊本市の熊本城総合事務所と熊本城調査研究センターがまとめた「特別史跡熊本城跡平成28年熊本地震被害調査報告書」には、崩落や、解体が必要な場所が細かく記された石垣の図面のほか、頬当御門周辺や不開門[あかずのもん]周辺など石垣が崩れる前と後の写真が掲載されている。

 報告書を見ると、石垣がさまざまな崩れ方をしていることが分かる。北十八間櫓[やぐら]を支えていた石垣の北側は、おわん形に大きく崩れて櫓が全壊。飯田丸五階櫓の「奇跡の1本石垣」は、南東部の角がかろうじて残り建物を支えていた。

 一方、奉行丸の南東は角の部分だけが大きく崩れている。調査研究センターは「角の石垣だけがはっきりと崩れているのはこの場所だけとみられ、特殊な崩落の仕方」と話す。

 調査研究センターによると、この石垣はほとんどが1889(明治22)年の地震後に積み直された。その際、崩落した石を成型したために石が小さくなり、間詰[まづめ]石を用いる江戸時代の方法とは違う積み方をしたため、周囲の石垣より2メートルほど低く修復されたという。市は1996年度の整備修理工事に伴い石垣を積み増し、江戸時代の高さである約9メートルに復元した。

 市は9月中にも、この石垣の崩落石を回収する。ここは来年春にも完成する「特別見学通路」のスタート地点のそばにあり、入場者の安全対策のため石垣を養生するという。

 市は石を回収しながら、石の元の場所を推定していく。そこからなぜここだけ角の石が崩れたのか分析する。調査研究センターの金田一精さん(51)は「石がどこから落ちたか分かっても、崩落の要因がはっきりするとは限らない。石垣の崩れ方の分析はかなり難しい」と話している。(飛松佐和子)

 ※特別史跡熊本城跡平成28年熊本地震被害調査報告書は、調査研究センターのホームページの刊行物コーナーに掲載されている。

(2019年9月6日付 熊本日日新聞朝刊掲載)