『もう少し浄瑠璃を読もう』橋本治著 フィクションに身を委ねるために

 浄瑠璃になじみがあるかどうかはともかく、まずどれか1章を読んでみてほしい。著者の手になる古典の読み方、解説は数多くあり、どれも勘所をすかっと教えてくれる。本書でも一作ごとの筋立てと時代背景がテンポ良く繰り出される。

 例えば、こんな部分にうなってしまう。「『曽根崎心中』というのは『恋』を描くことだけをテーマにした、日本で最初の演劇作品なのです」「恋する男女の胸の内ばかりが精密に描かれていて、お初と徳兵衛は十分な社会常識を持ち合わせている『普通の男女』で、だからこそ、この二人のすることは生々しくて肉感的でもあるのです」

 「小栗判官」「曽根崎心中」などの1章を読み終えるたびに、長い歳月を越えてきた浄瑠璃作品をより親しく感じられるようになるはずだ。時代と社会常識が異なっても、面白い物語はやはり面白い。リアルとか理路整然とか、そんな物差しを持ってこなくても、飛躍するフィクションに身を委ねるのが上手になれば、人生の楽しみが増えるというものだ。

 浄瑠璃を語る橋本治がぐんぐん迫ってくる。古典を解きほぐし、語り尽くす人間のすごみを味わうのが、本書のもう一つの読み方だろう。

 かつて著者に新作小説のインタビューをしたことがある。口角泡を飛ばす早口、熱量の高い話しぶりを目の当たりにして、創作、古典の現代語訳、評論にあふれ出すこの作家の膨大な仕事の一端に触れた。今年1月に70歳で亡くなり、指針にしたい書き手がまた一人いなくなった。新しい作品を読むことはできないが、山脈のような仕事を「全集」に編む企画があっていいと思う。

(新潮社・1800円+税)=杉本新

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