劇場版「エースをねらえ!」出崎統が描く青春の圧倒的リアリティ 1979年 9月8日 アニメーション映画「エースをねらえ!」が劇場公開された日

黄金世代がいる。

サッカーでは、1979年生まれの小野伸二、稲本潤一、遠藤保仁、中田浩二、高原直泰、小笠原満男らの世代を、かつて僕らはそう呼んだ。

野球では、1980年生まれの松坂大輔を筆頭に、和田毅、藤川球児、杉内俊哉、村田修一、新垣渚、森本稀哲ら同世代組が、いわゆる「松坂世代」と呼ばれた。

最近では、女子プロゴルフの二十歳前後の世代を「黄金世代」と呼ぶ。日本人2人目となるメジャー制覇を果たした渋野日向子を始め、国内ツアー最年少優勝で脚光を浴びた勝みなみ、アマチュア初の日本女子オープン優勝を果たした畑岡奈紗、そして新垣比菜、小祝さくら、大里桃子ら10人ほどの若き精鋭たちが、同世代にひしめく。

なぜ、ある特定の世代に、才能ある人材が集中するのだろう?
――カリスマである。
スポーツを始める年齢は早ければ早いほどいいが、自我と、それに伴う身体能力が目覚め始めるのが、大体7~8歳ごろと言われる。スポーツにおける黄金世代とは、要はそのタイミングでカリスマと出会い、件の競技に引き寄せられた結果、前後の世代と比べて、圧倒的な人口ボリュームを生んだのだ。

サッカーなら―― 1986年に母国アルゼンチンをW杯優勝に導いたディエゴ・マラドーナの存在は大きかった。
野球なら―― 80年代に甲子園でKKコンビとして鳴らし、共にプロの道へ進んで活躍した桑田と清原を置いては語れない。
女子プロゴルフなら―― 2000年代半ばに一躍スターダムに駆け上がった宮里藍選手が後進に与えた影響は計り知れない。

彼らカリスマの存在が、後の「黄金世代」を生んだのは容易に想像がつく。

その構図は、アニメの世界でも見られる。
アニメ黎明期においても、かつて「黄金世代」と呼ばれた人たちがいた。彼らは一様に、1940年代前半の生まれだった。

1940年生まれ 杉井ギサブロー
1941年生まれ 宮崎駿、富野由悠季、りんたろう
1943年生まれ 出崎統

―― そう、先のスポーツ同様、絵を描く才能もまた、始動のタイミングは早ければ早い方がいい。戦後、焼け跡の残る日本で子供たちが最初に出会ったカリスマが、漫画の神様・手塚治虫だった。子供たちは見よう見まねで漫画を描き、その中から絵の上手い者が残り、後に黄金世代になった。

そして、奇しくも1979年―― 彼らは一堂に会す機会を得る。

4月7日:『機動戦士ガンダム』(総監督・富野喜幸)テレビ放送スタート
8月4日:映画『銀河鉄道999』(監督・りんたろう)公開
9月8日:映画『エースをねらえ!』(監督・出﨑統)公開
12月15日:映画『ルパン三世 カリオストロの城』(監督・宮崎駿)公開

なんと、杉井監督を除く黄金世代の4人がこの年、アニメ界に燦然と輝く歴史的作品を発表する。かの年が「奇跡の年」と呼ばれる所以である。

その中で、今回取り上げるのは、まさに40年前の今日―― 公開された映画『エースをねらえ!』と、不世出の天才・出崎統監督その人である。

出崎統―― 虫プロ時代、2歳年上の富野喜幸(当時)をして、「日本のアニメ界に天才がいる」と言わしめた稀代のカリスマ。その演出技法は「出崎演出」と呼ばれ、今や日本が世界に誇るジャパニメーションのスタンダードになっている。例えば――

■ 絵がストップモーションになり、人物が背景のタッチと一体化して一枚の絵画のようになる「ハーモニー(止め絵)」
■ 重要人物の登場時や、何か大きな事件があった時に、同じカメラワークを3回繰り返して見せる「3回パン」
■ 画面に本当に光が射しているようにキラキラと輝かせる「入射光」
■ 画面を上下・左右などに分割し、同時に2つの対象物の動きを見せたり、一つの対象物の動きを2つのアングルで見せる「画面分割(マルチ)」

――いかがだろう。これらの技法は、今日のアニメでは当たり前に見られるが、全て出崎監督の発明である。

先にも書いた通り、生まれは終戦の2年前の1943年、東京は目黒の出身である。漫画を描き始めたのは10歳前後で、同時代の少年たちと同じく、手塚治虫に憧れたという。ちなみに、その年(1953年)、かの『鉄腕アトム』の連載がスタートしている。

才能が開花するのは早く、高校一年の頃には貸本漫画家としてデビューし、既にいくつかの作品を発表していたという。驚くべき早熟の天才だ。同じく黄金世代の杉井ギサブローは当時の出崎の漫画を読んで感銘を受け、これが後の出崎の虫プロ入りの伏線となる。

その後、貸本業界が廃れたこともあり、一旦は漫画家から足を洗い、高校卒業後は一般の会社に就職するも、翌年(1963年)、日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』(フジテレビ系)をスタートさせたばかりの虫プロダクションの求人広告を見つけ、応募する。そして社員の杉井の推薦もあり、晴れて難関を突破して採用。時に19歳の秋だった。

そこからの出世は早い。入社早々、『鉄腕アトム』の動画に配属され、3ヶ月目には「セカンド」に昇進、半年後には作画トップの「原画」担当に。更に翌年(1965年)には作品の全権を握る「演出」を任される。10歳の頃、アトムと出会って漫画を描き始めた少年が、その12年後には自らの手でアトムを動かすことになろうとは、感慨深い。ドリームズ・カム・トゥルー。

1967年、出崎は杉井らと虫プロを退社して、虫プロ以外の仕事も受けられるよう、制作会社を設立する。更に翌68年、より自由なモノづくりを目指して、フリーに転身。主に虫プロの仕事を手掛けるが、その中で彼がぜひやりたいと虫プロに持ち込んだ企画があった。
――『あしたのジョー』である。

それは、出崎が初めて全編を通して監督(チーフディレクター)を務めた作品だった。当時26歳。この時点で同じ黄金世代の宮崎駿や富野喜幸(当時)のはるか先を走っている。そして、この作品から彼ならではのクリエイティブも開花する。

それは、オリジナルのエピソードの大胆な改変だったり、後の出崎演出に繋がるエッジの立った絵作りだった。普通、原作を改変されると作者は快く思わないが、ジョーの場合、漫画の時点で既に原作の高森朝雄(梶原一騎)と作画のちばてつやとの間に確執があり、更にそこへ出崎が改変するので、奇跡の三すくみとなり、不思議と作者2人からのクレームはなかったという。

『あしたのジョー』(フジテレビ系)は最高視聴率29.2%と大ヒット。出崎統の名はアニメ業界に一躍知れ渡った。だが、アニメが原作のエピソードに追いついてしまい、やむなく1年半で終了となる。

そして、次に彼が手掛けた作品が、『エースをねらえ!』(NET系)である。劇場版からさかのぼること6年前。いよいよ今回のテーマに近づいてきた。

ここで、劇場版に至るまでの同作品の原作漫画とアニメ版との関係を、時系列で整理したいと思う。
1973年~75年 漫画『エースをねらえ!』(第1部 / コミック1~10巻)
1973年~74年 アニメ『エースをねらえ!』(コミック1~5巻に相当)
1978年~80年 漫画『エースをねらえ!』(第2部 / コミック11~18巻)
1978年~79年 アニメ『新・エースをねらえ!』(コミック1~10巻に相当)
1979年    映画『エースをねらえ!』(コミック1~10巻に相当)

――と、かなりややこしいが、このうち出崎監督が関わるのが、アニメの1作目と劇場版である。そして今回の話も、この2つに限定する。

アニメ版の『エースをねらえ!』と言えば、何と言っても出崎演出炸裂のオープニングである。もう、これだけでごはん3杯はいける。

冒頭からハーモニー(止め絵)が連続し、お蝶夫人の縦ロールの髪の躍動感も半端なく、男性陣のシルエット処理とコマ送りもいい。中盤の宗方コーチとお蝶夫人の2ショットと、笑顔で走るひろみがカットバックするところもカッコいい。

極めつけは「サーブ スマッシュ ボレー」のところ。サーブは花びらが風圧で飛び散り、スマッシュは12分割、ボレーは等身大と、それぞれ異なるアプローチで見せるところなど―― これぞ出崎統である。

主題歌もいい。なんたってメジャーコード全開の三沢郷サンのメロディが心地よいし、どこまでも伸びやかな大杉久美子サンの歌声も最高だ。ちなみに、三沢サンはこれ以外にも、ドラマは『サインはV』に『アテンションプリーズ』、アニメは『デビルマン』の主題歌も手掛けるなど、テレビを舞台に天才的メロディーメーカーぶりをいかんなく発揮するも、実働5年の作曲活動でアメリカに移住した伝説の音楽家である。

実は、アニメ版の『エースをねらえ!』はオンタイムではヒットしていない。裏に TBS の『ウルトラマンタロウ』が控えていたこともあり、視聴率的に苦戦、半年で打ち切られたのだ。そのため、内容面ではコミックの5巻までしか消化されない結果となる。

同作の人気が再燃するのは、再放送からだ。当時は『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』など、再放送で再評価されるアニメも少なくなく、エースも同様だった。それを受けて1978年―― 漫画連載が3年ぶりに再開。更に同年、アニメ版『新・エースをねらえ!』も放映される。だが、当の出崎監督は、この時、別の作品を抱えており、不参加――。

時に、世は『さらば宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットで、中高大学生まで巻き込む空前のアニメブームが訪れていた。かくしてエースも映画化される運びとなる。となると、やはりあの男を呼び戻すしかない。出崎統、時に36歳。舞台は整った。封切りは1979年9月である。

映画『エースをねらえ!』は、今もって天才・出崎統の最高傑作の呼び声が高い。上映時間はわずか88分。この中に、コミックの1巻から10巻が凝縮されている。テレビ放映の半年分が、2時間にも満たない尺に収められている。かと言って、乱雑にエピソードを詰め込んだワケじゃない。見事に一本のストーリーが成立している。あたかも初めからその尺であるかのように――。

同映画の肝は、タイトル前のわずか38秒間のシークエンスにある。

冒頭―― 部屋の中、ベッドの上でパジャマ姿の岡ひろみがたたずんでいる。外は雨音。背景のパステル調のトーンが少女漫画感を醸している。寝転がるひろみ。その時、パジャマが一瞬めくれ、お腹が覗くサービスショットも。そこへ、ペット猫のゴエモンが鈴を鳴らしながら近づき、足元に寝そべる。ふと足を上げるひろみ。ゴエモンもそのまま宙へ。次の瞬間、コミカルな音で蹴られると、画面は止め絵になる。

「岡ひろみ、15歳。この春、県立西高入学。即、テニス部へ入る。雨の夜はゴエモン蹴飛ばす!」

と、ここでタイトル。黒バックに赤文字。同時に主題歌も始まる。なんてシンプルでカッコいいんだ。

 青春 それはまぶしい季節
 青春 それは自由な翼
 若さに恥じない 夢を求めて
 さぁ 旅立ちのとき

主題歌「まぶしい季節に」は、作詞・竜真知子、作曲・馬飼野康二。歌うは少年探偵団である。このオープニングは、ひたすら岡と、親友マキが放課後にゲームセンターやラーメン屋、喫茶店に寄り道している描写がハーモニー(止め絵)で描かれる。テニスの描写はまるでない。ごく普通の女子高生の日常である。

そう、これだ!この映画で出崎監督が描きたかったのは、ごく普通の女子高生のヒロインの話なのだ。高校の想い出づくりのために、ほんの軽い気持ちで入ったテニス部。ところが、いきなりコーチから代表選手の一人に抜擢される。コーチの厳しい特訓と、周囲の白い目に、何度も彼女は「やめたい」と愚痴をこぼす。それに同調する親友マキ。この圧倒的なリアリティ――。

「なぜ、テニスの下手な私が……?」

そりゃそうだ。観客もみんなそう思っている。だが、宗方コーチは理由を言わない。だからますますひろみは悩み、傷つく。そしてマキといる時だけ、彼女は平凡な女子高生に戻る。そのシーンになると、僕らも少しホッとする。

映画『エースをねらえ!』で出崎監督がひたすら描こうとしたのは、スーパーヒロインではない。まだ自身の眠れる才能に気付かない、悩める平凡なヒロインである。そして、その才能に気付いていたのは、宗方コーチただ一人。但し、彼には時間がなかった―― かいつまんで言えば、そんな話である。

人は、平凡にこそ共感する。
そこに気付いた出崎監督は、紛うことなき天才なのだ。

カタリベ: 指南役

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