発明神社
神社庁によると、日本には8万8千を超える神社があるとされています。
しかし、神社庁ができる前から神道は存在していますし、もっと言うと神道という「宗教」としての輪郭ができる前から、神道的な信仰は日本各地で無限にありました。
つまりそれは、神社庁が元々あったものに「後から認可を与えた」に過ぎないのです。
似たような話で、落語の世界にこんな小噺があります。
「雷ってなにで出来てるの?」
「電気だよ」
「嘘つくんじゃねーよ」
「なんでだよ」
「電気発明したの誰か知ってるか?」
「エジソンだろ?」
「エジソンが生まれる前から雷はあるじゃねーか」
というもの。
それは置いといて、神社庁に登録されているから正しく、登録されていないから怪しいということは一概には言えません(登録されていない神社に怪しいスポットが多いのは事実ですが)。
ただ、そうしたスポットは神社庁の決まりごとや伝統の埒外にある自由な存在なので、時にそのアバンギャルドさが直接的に僕らの心を掴んできたりします。
前フリが異様に長くなりましたが、秩父にある「発明神社」もそのひとつなのです。
もう発明神社って名前から心掴んできますね。埼玉県神社庁のHPで発明神社と検索しても「見つかりません」と出てきますし、Googleマップで「発明神社」と検索しても出てきません。
この「僕しか知らない」(そんなことはないんだけど)的な感じがまたたまらないのです。
放置されて長いのか、鬱蒼とした草に覆われている広い敷地には、見たことのないフォルムのモニュメントが立ち並んでいます。
なんだかSFの世界に迷いこんだような気にもなってきますが、ほとんどが木で作られていたり、日本古来から伝わる妖怪のカラカサおばけのような形のものがあったりするので、SF的未来感と同時にノスタルジーも喚起する「木造のSF」と言えるでしょう。
その中には、お寺でお馴染みの(ここは神社だけど)鐘楼もあり、その鐘をよく見ると、プロパンガスのタンクを切って色付けしたものだとわかります。これが意外といい音。
本殿(と呼ぶには小さすぎる)を覗くと、そこには北里柴三郎や平賀源内や聖徳太子の名前が並んでいました。もっとも最近の人物では元内閣総理大臣の竹下登の名前も。そして、それぞれの名前の下に「命(ミコト)」の文字。
つまり、発明神社はこの錚々たる面々を「勝手に」ご祭神にしているのです。
ただ「勝手に」は悪なのでしょうか?
実はこの発明神社、HPが存在していて(HP内の多くのトピックで404エラーが出ますが)、それによれば御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)をはじめとする3柱の神。それに加えあらゆる発明を祀っているのです。
たとえば全国の八幡宮のご祭神である応神天皇や、天満宮のご祭神である菅原道真に許可を取ったという話を聞いたことはないでしょう。
もっと言えば、山や巨石を御神体として祀っている神社も全国に数多くありますが、その許可は一体誰に取ればいいのでしょう。
僕らはいつのまにか「神社庁に登録されている」ことを正しさの物差しにしていましたが、元を辿ればどの神社も「この山すげー」などから信仰がスタートし「勝手に」ご祭神にしているものなのです。
そう考えると、発明神社の祠にならぶご祭神にされちゃった人たちも、他の神社となんら変わらない神さまだと言えるのです。
ただ「すげー独特だな〜」とか「その人たちを神さまだと思っても、このクラスのものを建てるって、ちょっとどうかしてるな〜」とは思います。
だけど、このどうかしてる所こそ、珍なスポットの魅力なのです。(文◎Mr.tsubaking 連載『どうした!?ウォーカー』第41回)
■秩父発明神社
埼玉県秩父郡皆野町金沢2055-5