松本伊代はいつまで「センチメンタル・ジャーニー」を歌えるだろうか? 1981年 10月21日 松本伊代のデビューシングル「センチメンタル・ジャーニー」がリリースされた日

「セルフカバーをやるのも、自分の声を考えると、まぁ60代のはじめが最後。こういうティーンエイジものを歌うのは、もうこの時期を逃したら歌えない歌詞だからよかったなあ」

2019年8月25日14時過ぎにオンエアされた『山下達郎のサンデー・ソングブック』(以下『サンソン』)で、64歳の竹内まりやが語った言葉。私はその夜に行われる六本木ケントスでの松本伊代と香坂みゆきのステージを観に行く道中の東横線に乗って、スマホのラジコで聴いていた。

この日の『サンソン』のプログラムは竹内まりやがゲストで出演の「納涼夫婦放談」。

9月4日に発売する3枚組の新譜のうち、80年代~90年代に竹内まりやが岡田有希子、薬師丸ひろ子、牧瀬里穂、広末涼子などのアイドル歌手に作家として書いた曲をセルフカバーした楽曲の紹介が中心。山下達郎がマスターエディットを施した10曲のメドレーにも含まれていた、岡田有希子に提供した「憧れ」を落ち着いた大人の声でセルフカバーする竹内まりやの歌を聴いて、私は別の風景を歌の中に見た。

声変わりは歌手にとっては切実な問題だ。50代でも60代でも、極端に言えば100歳を超えても、その人が「好き」と思える相手がいれば恋愛はできるし、言葉に残すこともできる。それに比べて、10代の乙女の恋の歌を歌い、ステージで披露する、音源に残す行為は、ある年代を超えると難しくなる。女性は更年期を迎えるとホルモンの関係で声が低くなることもあるから尚更のことだ。私は竹内まりやのトークを聴きながら、数日前のある風景を思い出していた。

8月22日(岡田有希子の誕生日だ)、清水信之 presents 道玄坂フェス的な令和の女子アイドルユニットのライブを、私は渋谷 eplus で観ていた。

東京女子流、さんみゅ~、CHICA#TETSU(BEYOOOONDS 内ユニット、From ハロプロ)。いずれも1980年初頭に竹内まりやの「不思議なピーチパイ」で編曲家としてブレイクし、2019年のいまでも40年間現役で活躍する清水信之が、まさに、いま!楽曲を手掛けているアイドルユニット。10代から20代前半の彼女たちが、可愛くて破綻がない平成末期から令和の時代にふさわしいモード感で可憐な花を咲かせている。

この日は彼女たちのオリジナルと80年代楽曲のカバーを取り混ぜての選曲を、清水信之が奏でるエレピにのせて、浴衣姿の彼女たちが歌うという内容。今後彼女たちはどんな大人になっていくのだろう、そう思いながら娘のような年代の彼女たちを微笑ましく観ていた。

『サンソン』で竹内まりやのセルフカバーを聴いた6時間後、私は六本木ケントスで54歳の松本伊代と56歳の香坂みゆきが歌い踊るショーを楽しんだ。アラフィフ以上を中心とした観客がほぼ知っている昭和のヒット曲の数々を、横浜ケントスから引き連れてきたバンドが演奏するジャズ系アレンジで、様々な曲を歌いまくる二人は輝いていた。ステージ前のダンスフロアではバブル期のディスコの全盛期に踊っていたと思しき観客の女性たちが楽しそうに踊り、その光景はディスコそのものだった。

この54歳の松本伊代が歌う「センチメンタル・ジャーニー」が、とてつもなくキュートだった。16歳当時一緒にステージで歌っていたキャプテンのふたり(ケイコ、キヨコ)を従えて、振り付きで歌う松本伊代。

♪ いよはまだ~、じゅうろくだぁから~

黒のシースルーのふんわりしたスカートから、すんなりした脚のシルエットが僅かに透けて見える。小悪魔的なドレスで歌う美しい艶やかな黒猫のような松本伊代は、その瞬間、あきらかに16歳だった。

16歳だった、は些か言い過ぎたか。松本伊代の声は16歳の時よりも少し落ち着いてふくよかさを身につけていた。あの頃の危なっかしさの代わりに、レディの淑やかさを身につけてアップデートした歌を聴かせる。

歌の直前にステージの彼女に教えられた振り付けに合わせて身体を動かしながら、夢中でその歌を聴いていた。

私は帰りの東横線で、松本伊代はいつまで「センチメンタル・ジャーニー」を歌えるだろうかと考えていた。あと10年は鉄板で行けるか。もっとおばあちゃんになっても歌っているかもしれない。そして彼女がいま歌っていても何ら違和感がない理由をいくつか考えてみた。

彼女の声が低く、年齢を重ねても歌いやすいキーの設定。楽曲自体が過度にティーンエイジに振られていないこと。湯川れい子による歌詞は、恋した大人が好きなひとに思う気持ちでも全然おかしくない。

ただひとつ、「伊代はまだ16だから」を除いては。

カタリベ: 彩

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