長時間、塾で過ごすのはかわいそう?中学受験のリアル

中学受験に関する数字を森上教育研究所の高橋真実さん(タカさん)と森上展安さん(モリさん)に解説いただく本連載。

中学受験といえば、その生活の中心となるのは塾通い。まだ小学生なのにかわいそう…と思う人もいるかもしれませんが、その通塾年齢は年々、低下しているともいわれています。一体、子どもたちは1日のどれくらいを塾で過ごすのでしょうか?

今回の中学受験に関する数字…80×3×2


6年生の1週間の授業数、80分/コマ×3コマ×2日

<タカの目>(高橋真実)

中学受験と聞いて、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。夜遅く塾バッグを背負って帰っていく子どもたちの姿を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回の数字は、塾で勉強する時間です。80分/コマ×3コマ×2日。これは中学受験の大手塾の1つであるサピックスの6年生1週間の時間割です。他の大手塾でも6年生は週2日、あるいは3日といった日数の違いはあるものの、塾で学ぶトータル時間は概ね同じようになります。

大手塾の中学受験のためのコースは、小学校4年生から入塾するのが一般的です。受験率が回復している首都圏においては、地域によっては入塾希望者が増加し、低学年向けのコース、すなわち小学校1年生や2年生から塾に通って4年生からの本格的な受験対策のためのクラスの席を確保するといったケースもあるようです。

以前はこうした塾に通って受験対策をするお子さんが多かったのですが、最近は個別指導の塾に通って受験に備えるお子さんも増えていると聞きます。

また、昨今は公立中高一貫校が行う適性検査型入試に備えることを主眼とする塾もあり、塾も細分化していると言えます。

塾が負担の子もいれば、塾に救われる子もいる

通塾は学校が終わったあとの時間ですから、6年生の授業が終わるのは夜9時ごろになるところが多いようです。こうした生活に対して批判的な意見もあり、そこまでして勉強漬けにさせたくないという思いから中学受験を選択しないというご家庭も少なくありません。

塾によって宿題の量も様々で、中には夜中まで宿題が終わらず、親子で泣きそうになったという苦い経験を持つご家庭もあります。一方で、「塾で学んだことが次につながる学力の基盤となった」といった、効果を実感する声も聞かれます。

小学校で自分の居場所が見つけられず、塾が大切なクラブ活動のようだったというお子さんもいて、塾の先生や一緒に学んだ仲間と後々まで交流を続けているケースもあります。

教育、入試ともに変化していく中、中学受験の塾もこれから変化していくのでしょうか。

中学受験の中心となる塾の存在

<モリの目>(森上展安)

タカの目さんの今回のテーマは中学受験生の生活の半分、もしくは精神的には過半を占めているかもしれない塾の滞在時間を取り上げていただきました。

モリの目としても若き日に10年程、中学受験塾を運営していましたし、その後も今に至るニューズレターを発行したりセミナーを開いたりで、いわば一つのホームグラウンドでもあります。

主要な塾はご指摘のような比較的長尺の滞在時間で講義を受けますし、これに加えて、演習というべきテストと解説というような時間も別日にセットになっているのが通例ですから、それらを合わせると「×2」では済まなくて「×3」や「×4」にもなってしまっています。

更にこの講義のフォローや演習のフォローを個別指導塾や家庭教師にお願いすることも、塾によっては多くのご家庭が普通のことのように対応しているケースが見られます。

これらは一般入試のケースですが、別にご指摘のような公立一貫校の適性試験向けケースはこれより短く、かく指導期間も多くて2年くらいが設定されているように思います。

帰国子女や発達障害の子など塾にも多様性が求められる

それと最近は帰国子女への入試対応があります。多くは海外の現地での受験指導がメインで、入試の際に一時帰国して受験するので、いわば一般的な日本での塾の海外版になります。

ただし、帰国子女入試は一般入試枠とは別に入試解禁日が設定されフレキシブルな対応がなされているので、一般入試と比べて出題問題も緩やかなものと言えると思います。もちろん、一般入試と同じ試験で受け付ける学校も少なくありませんから、まさに受験生の状況に応じて「多様」です。

そして未だ未だ中学も塾も受け入れが十分とはとても言えないのが発達障害児童の受験です。

近年は発達障害がメディアなどで大きく取り上げられるようになり認知が進んできましたから、受験生の保護者も以前よりその特徴に気付くことが多くなったことや、医療機関も以前に比べれば多くなっていることもあり、塾の中でも発達障害対応を謳っているところも散見されます。

とはいえADHDやASDなどの発達障害は特に学習塾のように学習面だけの接点では通常児と特に対応を変える必要はないので、むしろ気付かないか気付いたからと言って特別な対応をするということでもないということも実際的な事情です。

なので塾の問題というより生活面での対応が要求される中学校で思春期に入った時点に適切な対応が必要とされるため、中学校選択の問題という形で中学受験では課題になっています。

長時間のトレーニングが「教育虐待」となる危険性

さて、中学受験はいわばこれ程に時間を費やす必要があるのかということが「教育問題」として考えるべきところがありますが、最近メディアに上ったトピックで言えばやはり「教育虐待」というテーマになると思います。

中学受験に限らずスポーツなどでもそうですし、一子相伝ではありませんが芸術家の後継ぎの教育などは、やはり長時間のトレーニングが前提とされています。

AI議論の中では、ITリテラシーが今のような学習の方法と時間では全く歯が立たないのではないかとも言われます。

つまり相当数の時間を割かなければ習得できないことに対して、誰がいつどのような判断で子どもに教育を授けるかということと、そのことが子どもにとって心的に受け入れられるのかどうかという問題です。

さてその議論には深入りできませんが、少なくともそこで反射的に考えられている「学校」という存在について、そこでなされることは動機付けであり、概論であり、入口であるということです。

それに対して塾のような機関は更に深く徹底して目的意識的に習得するところだということです。

苦痛ではなく試練と受け取れるか

したがって、塾での学校が苦痛のようなものでなく、「試練」として受け止められる心的な状況でないと学習として成立しないということは言えるでしょう。親としては十分注意しなければならないことであり、とりわけ発達障害の場合は過剰適応という側面があるので一層注意深い観点が親のみならず関係者が注意する必要があります。

こうした長尺のトレーニングをする場合、常に離脱の自由を持っていることを頭の中に意識しておくことが最も重要なことです。米国の学校はトランスファーといって習得単位を持ったまま他校に移動できますが、いわば塾はそこが持ち味で、受験生に移動と離脱の自由があるのが救いなのです。

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