偏狭なナショナリズム超える選手たち

By 江刺昭子

2018年の全米オープン表彰式。大坂なおみとセリーナ・ウィリアムズ

 近年、メディアのスポーツ関連報道は過熱ぎみ。全国高校野球記念大会が100回目を迎えた昨年など、一般紙なのにスポーツ紙と見紛うほど、スポーツ面が肥大している新聞もあった。

 これらの報道で気になるのは、ハーフのアスリートたちの国籍性の問題である(両親の国籍が異なる人は「ミックス」「ダブル」などとも呼ばれるが、ここでは一般的な「ハーフ」として書き進める)。

 昨年、女子テニスの大坂なおみが全米オープンで優勝したとき、表彰式で結果に納得しないファンのブーイングが響いた。その表彰式で大坂は「みんながセリーナを応援していたのを知っているから、こんな終わり方になってごめんなさい」とわびた。

 「日本人初の快挙」と偉業をたたえる一方、こうした振る舞いを指して「日本人より日本人らしい」と評価するコメントも目立った。彼女のすべてを「日本人」という枠におさめようとするかのような報道だった。

 大坂は日米の二重国籍で米国育ち。生活の本拠も活動の拠点も日本にはない。はっきりしているのは、テニス選手として「日本」を選んでいるということだ。メディアはなぜことさらに「日本人」を強調するのだろう。

 同じことは、陸上のサニブラウン・ハキームやバスケットの八村塁、ラグビーの松島幸太朗、柔道のベイカー茉秋(ましゅう)らにも言える。

 ハーフの活躍は芸能タレントやモデルまで広げると、枚挙にいとまがない。肯定的なキラキライメージだが、かつて「混血児」と呼ばれ、苦難の歴史を生きた子どもたちを忘れてはならない。

 ハーフとは両親のいずれかが外国人ということだが、旧国籍法では日本人女性が産んだ子でも、夫が外国人の場合、子は日本国籍が取れなかった。反対に日本人男性と外国人妻の子はどこで生まれても、だれが産んでも日本国籍だった。

 「妻は夫に従う」という家制度の名残り、父系優先血統主義のためである。先にあげた選手たちはいずれも母が日本人、父が外国人なので、旧国籍法下では日本人として国際大会に出場することはできなかったことになる。

 戦後、国際結婚は年を追って増え続け、国の人口動態調査によると、1980年には7261組で婚姻総数の0.9%を占めた。うち夫が外国人なのは2875人だが、そのカップルの子は日本人になれなかったのだ。

 これはとりわけ沖縄にとって、大きな問題となった。米軍基地の街で、父が米軍人や軍属の子どもが多く産まれた。米兵や軍属が帰国して連絡が途絶えたり、認知しなかったりして、子は無国籍になった。無国籍になると、保護してくれる国がない。就職や結婚、年金などでさまざまな困難が伴う。

 そこで1977年、憲法学者でもある土井たか子衆院議員が、父系主義は憲法の「両性の平等」に反するとともに、子の人権も侵害するとして、国会で追及した。これが報じられ、土井さんのもとには、国際結婚をした女性たちから、悩みを訴える手紙が続々寄せられたという。この年、初めて国籍法の性差別廃止を求める訴えも提起された。

 政府はなかなか改正に動こうとしなかったが、「国連女性の10年」の中間年に当たる1980年、デンマークで開かれた第2回世界女性会議で、女性差別撤廃条約に署名。その9条2項に「締約国は,子の国籍に関し,女子に対して男子と平等の権利を与える」と明記してあることから、条約を批准するために、84年、ようやく国籍法を父母両系主義に改めたという経緯がある。

 人口動態統計によると、近年、在留外国人が増え、日本で生まれた子どものうち、親のどちらかが日本以外の国籍である割合は2%前後で推移している。今年4月の改正出入国管理法施行により、海外から大量の労働力を受け入れることになったから、今後、多様な出自や文化を持つ人びとはもっと増えるだろう。

 スポーツ界はそれを先取りしているともいえる。大相撲には外国人力士がおおぜいいるし、ラグビー日本チームの半分は外国籍の選手だ。サッカーや野球にも外国にルーツを持つ選手が増え、日本人も国境を越えてプレーしている。それを見るわたしたちも、肌の色や振る舞い、言葉や文化が異なる選手たちのパフォーマンスを楽しんでいる。

 しかし、選手が国の代表として参加する国際大会、とりわけオリンピックとなると、ナショナリズムが前面に出る。国の威信をかけて戦うことを求め、日の丸の重さを強調し、メダルの数や色までうんぬんする。

 そうして日本や日本人としての一体感を求め、期待を寄せるのは、外国につながる選手や、二つの祖国を持つアスリートにとっては、どこか居心地が悪いのではないだろうか。

 チーム競技はともかく、せめて個人競技は、国家という枠組みにとらわれるすぎることなく、これまでの活躍を良く見聞きしてきた身近な選手として応援したい。変わらなければならないのは、メディアとわたしたち観客の視線であろう。(女性史研究者・江刺昭子)

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