ブラックミュージックとしてのジョイ・ディヴィジョン、ブルー・マンデーを超えて 1979年 6月15日 ジョイ・ディヴィジョンのデビューアルバム「アンノウン・プレジャーズ」がリリースされた日

ジョン・サヴェージ『この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも―― ジョイ・ディヴィジョン ジ・オーラル・ヒストリー』(Pヴァイン)という、じつに長い、たぶん記憶不可能な(?)タイトルの本を版元より賜った。前回「ゴス」の観点からザ・キュアーについて書いてみたので、「ゴシック調のダンスミュージック」とも形容されたジョイ・ディヴィジョンについて、改めて考えてみようかと思う。

地の文なし、すべて関係者のコメントや当時のレヴューから構成されている本だが、著者サヴェージの巧みな文章配列もあってまさに「ヒストリー」として立体的に浮かび上がってくるので、集中途切れることなくまったく飽きさせない。

グラント・ジー監督の『ジョイ・ディヴィジョン』という伝記映画撮影の際に行われたインタヴューがその大部分らしいが、映画に使われたのがほんの氷山の一角に過ぎなかったことが分かる圧倒的情報量だ。

この本を読んでとくに意外だったのは、ヴォーカルのイアン・カーティスがダブやレゲエ好きだったということ。1980年前後、ポストパンクのバンドがそうした「黒い」音楽を最先端のものとして咀嚼吸収していたことはよく知られているが、ブラックミュージックの影響を一切感じないジョイ・ディヴィジョンだけに、まして「死んだハエのような踊り」(元バンド仲間のイアン・グレイの形容)をするカーティスだけに、この事実はなおさら驚きだった。

ところでマーク・フィッシャーという鬱病で自殺した、イギリスの影響力ある音楽批評家―― 僕は愛をこめて「さよなら絶望先生」と呼んでいる―― の『わが人生の幽霊たち』という本も、同じくPヴァインから翻訳刊行されているのだが、そこにジョイ・ディヴィジョン論が含まれていることをふと思い出して読み返してみたら、上の疑問に答えてくれる箇所を発見した。

「ジョイ・ディヴィジョンとザ・フォールはどちらも、その音のなかで、なにを優先させなにを省くかという点において、つまりその重要なベースとその疾走するリズムにおいて、「黒い」ものだった。それは形式においてではなく、その方法論においてダブだったのであり、音作りとは抽象的な工学的技術(エンジニアリング)なのだと考えるその態度においてダブだったのである。」

ようするに、ダブという音楽的抽象度を高める作業を徹底するジョイ・ディヴィジョンの「エンジニアリング」のほうが、ダブ・レゲエの「形式」ばかり換骨奪胎するパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)より「黒い」のだという。これだけだとちょっとわかりにくいので、もう少し具体的な話をひっぱってみよう。

「のみならず、ジョイ・ディヴィジョンはまた、極度に合成的で、人工的で凝りに凝った「黒い」音との関係をもってもいた。というのはつまり、ディスコとの関係である。「デス・ディスコ」の名にふさわしいビートを発していたのは、やはりPILよりも彼らのほうだった。ジョン・サヴェージがこのんで指摘することだが、「インサイト」でのシンセドラムは、たとえばエイミー・スチュワートの「ノック・オン・ウッド」のようなディスコのレコードから借りられたもののように聞こえるものである。」

冒頭に「ゴシック調のダンスミュージック」と書いたように、ジョイ・ディヴィジョンの執拗に反復 / 断絶を繰り返す音楽は、異様なダークさにもかかわらず「踊れる」のである。

実際マンチェスターの詩人ジョン・クーパー・クラークは、イアン・カーティスの悪魔に憑かれたようなダンスをみて「地獄のジェイムズ・ブラウン」などと喩えてるほどであったし、やはり彼らはファンキーで黒かったのかもしれない。

とはいえ、文字通り肉感的で分かりやすい「ブラックミュージック」でないことは明らかで、それはイアン・カーティスの描く世界観が、探索不可能な心理的深みの次元を「ブラック」に与えているからだろう。

ロックミュージシャンが伝統的にはまりこんできた悲しみの形式である「ブルー(ス)」と対比しながら、フィッシャーはジョイ・ディヴィジョンの「黒さ」の正体を明らかにする。

「そもそものはじまりから、(ロバート・ジョンソンやシナトラを見ればわかるとおり)二〇世紀のポップ・ミュージックは、男たちの(そして女たちの)悲しみよりも、その上機嫌さにかかわるものだった。しかしブルースマンの場合にしろ、哀愁を帯びた声で歌う歌手(クルーナー)の場合にしろ、そこには、すくなくとも表むきは、悲しむべき理由が存在していた。その絶望に特定の原因が欠けていたがゆえに、ジョイ・ディヴィジョンは一線を越え、喜びも悲しみももたらされることのない「砂漠と荒地」を経由して、悲しみのもたらすブルーさから、鬱のもつ黒さへとむかった。つまり感情ゼロの地点へむかったのである。」

イアン・カーティスとは、「感情ゼロの地点」で踊る、魂なき―― それこそ「デッド・ソウルズ(死せる魂)」という曲もある―― ブラックミュージックの操り人形であった。その意味で、カーティスが自殺をしたあとに残りのメンバーがニュー・オーダー名義で発表した大ヒット曲「ブルー・マンデー」は、カーティスの死をメンバーが知った「月曜日」にちなんだその感傷性もあいまって、やはりどこか「青い」のである。

カタリベ: 後藤護

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