「記録は全て日本人のもの」と嘆いたカブレラ 王貞治氏に迫った3人を米メディア特集

近鉄・巨人・オリックスで活躍したタフィ・ローズ(写真はレッズ傘下所属時)【写真:Getty Images】

ローズが2001年に王氏のシーズン最多本塁打55本に並ぶも、更新ならず

 多くの日本人選手がメジャーリーグでインパクトを残してきた。なかでもイチローは、2004年に262安打のシーズン最多安打記録を樹立し、いまだに破られていない。反対にメジャーから日本に渡り、記録を打ち立てた選手も数多くいる。そんな日本で活躍した助っ人たちを米野球メディア「ハードボールタイムス」が紹介している。

「もう少しでキングになった男たち」として紹介されているのはタフィ・ローズ、アレックス・カブレラ、ランディ・バースの3人だ。ローズとカブレラは、王貞治氏が持つシーズン最多本塁打記録の55本に並び、バースはその記録にあと1本まで迫ったが、更新には至らなかった。

 タフィ・ローズは、1990年にメジャー初昇格。1994年の開幕戦ではサイ・ヤング賞右腕ドワイト・グッデンから3打席連続弾を放ち、有名となった。しかし、メジャー定着には至らず、1996年に近鉄入りした。日本では、近鉄、巨人、オリックスの3球団で活躍。13年間で464本塁打を放ち、外国生まれの選手の最多本塁打記録を樹立した。特に2001年には、140試合で55本塁打を打ち、王貞治氏の持つシーズン最多本塁打記録に並んだ。

 記事では「そのシーズン、残り13試合ですでに彼は54本塁打を打っていたが、オウに対する配慮として、彼がオウの記録を塗り替えることを阻止しようとローズとの勝負を避けようとした投手もいた。最も明白な例は、オウが監督をしていたダイエー・ホークスとの試合のときに起こった」と言及。55本に並んで迎えた9月30日のダイエー戦では、4打席18球のうちストライクは2球だけだった。第1、2打席はともに四球。第3、4打席はボール球に手を出して凡退。記録更新はならなかった。

カブレラは勝負を避けられたことに不満「記録はすべて日本人のためのものだ」

 記事では「同様の事態が、カブレラとバースの卓越したシーズンの終盤にも起こった」と指摘。ローズが55本塁打を放った翌年の2002年には、西武のカブレラも5試合を残して55本に並んだ。しかし、王監督率いるダイエー戦では5打席3四死球という結果に終わるなど、記録更新にはまたしても及ばなかった。

 カブレラは米スポーツ専門テレビ局「ESPN」で過去に「彼らは私に記録を作らせたくなかった。そのシーズンの最後の20打席では、ストライクは1球しかなかったと思う。記録はすべて日本人のためのものだ」と不満を漏らす発言をしていたという。

 また、阪神で活躍したランディ・バースは、日本一となった1985年に残り2試合で54本に到達している。しかし、王氏が現役時代に所属した巨人相手の2試合で9打席6四球と勝負を避けられ、55本に並ぶことはできなかった。

 3人が惜しくも更新できなかったシーズン最多本塁打記録は、ヤクルトのウラディミール・バレンティンが2013年に60本を放ち、ついに破った。この記録をさらに更新する打者は現れるのだろうか。(Full-Count編集部)

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