今だからこそ乗ってみたい!? 日産のパイクカーを振り返る

日産 パオ

コワモテのクルマが増えた今こそ見直したいパイクカー

今を遡ること34年前、1985年の東京モーターショーに日産が参考出品した「Be-1」(ビィー・ワン)は、レトロ感覚溢れる親しみやすいデザインで登場し、大きな話題となりました。その後も「パオ」「フィガロ」が相次いで登場し、一連の日産パイク(槍)カー・シリーズを形成しました。

広義のパイクカーにはいろいろな車種が入りますが、狭義では日産が出した1987年のBe-1から1991年のフィガロのみとすれば、販売時期は実質的にわずか数年の出来事だったのですから驚きです。

パイクカーを生み出せたのは、ちょうどバブル期の「なんでもござれ」時代だったこともありましたが、逆に高級・大型志向、速いクルマ、ハイテク満載のクルマが溢れつつあった時代に、レトロ調のおっとりしたデザイン、性能的にはふつうのクルマだったパイクカーが、多くの人々の心を惹きつけたことにも改めて驚かされます。

そして、パイクカーは今なお中古市場で大人気です。あれから約30年が経った今、クルマがさらに高性能化・ハイテク化し、外観がコワモテのクルマが多い今だからこそ、手作り感、こだわりのデザイン、優しい表情を持つパイクカーが見直されているのかもしれません。

そこで、今回は日産が生み出したパイクカー3種+αをお送りいたします。

その1:レトロを売りにした画期的なアイデア! パイクカーの元祖「Be-1」(BK10型)

日産 Be-1

Be-1の元デザインは、1982年に登場した初代マーチ(K10型)のリニューアルプランの一つでした。デザインプランには、日産自身のデザインチーム、外部デザイナー、海外デザイナーから数案が提出されました。その中から、クルマと全く違うアパレル分野から招聘された外部デザイナー、ウォータースタジオ・坂井 直樹氏の「B−1」案が採用されることになりました(そう、車名の由来はこれです!)。現在では珍しくないレトロ調のデザインでしたが、当時としてはむしろ極めて画期的だったのです。

その案のクルマを1985年の東京モーターショーに参考出品したところ、予想以上の大反響を得たため日産は1万台の限定生産を決定、1987年から高田工業によって月産400台体制で生産が開始されました。ポップで明るいボディカラー、丸いヘッドライト、シンプルな内装など、ショーモデルで好評だった要素を可能な限り生産型でも再現していたこともあって、発売直後に注文が殺到。わずか2ヶ月で予約がいっぱいになったことからも、その反響の大きさがわかります。

Be-1は、エンジンは直4OHC+電子制御キャブレターの「MA10S」で、機構的にはベースの初代マーチと大きく変わることは無いのですが、可愛らしい丸いボディを表現するために、フェンダーに新しい樹脂素材を採用するなど新技術が多数盛り込まれていたことも特徴でした。

その2:三角窓にボディカラー同色内装! レトロ感を増した「パオ」 (PK10型)

日産 パオ

パイクカーの第二弾「パオ」は、1987年の東京モーターショーに参考出品されたのち、1989年に発売を開始しました。コンセプト作りには同じく坂井 直樹氏が参加。平面フロントガラス、三角窓、リブが入ったようなボディ、小さくて丸いテールライト、外付けドアヒンジなど、Be-1よりもさらにレトロ感を強調していました。

インテリアも見所で、ドアパネルやダッシュボードはボディカラーに準じ、ステアリングやメーター、スイッチ類もアイボリーに統一するなど、デザインは徹底してクラシカルに仕立てられていました。オプションの2DINサイズオーディオも思い切り外付け感たっぷりで、しかもレトロデザインの専用品という凝りっぷり!

パオもBe-1同様、見かけと裏腹にボディは当時最先端の樹脂素材を多用して作られていました。これは生産台数が少ないこと、コスト減を図るためには樹脂の使用が最適だったこと、デザインの再現度が高いことが理由でした。またエンジン、サスペンションなどの機械部分がマーチそのものだったのも、Be-1と同じでした。

パオも販売は好調で、生産台数限定ではなく予約期間を絞る方法にしたことで結果的に3万台以上が販売されています。生産を担当したのは高田工業と愛知機械工業でした。

その3:海外でも大人気!? 凝りに凝ったパイクカーの完成形「フィガロ」(FK10型)

日産 フィガロ

マーチベースのパイクカーの最後を、そして日産パイクカーの連作最終作(その後登場した「ラシーン」をパイクカーに含めることもありますが)となったのが「フィガロ」で、1991年に登場しました。

このクルマも発売前の東京モーターショーに参考出品してから市販、という流れでした。Be-1とパオが、マーチのボディ形状に準じた3ドアハッチバックだったのに対し、フィガロはお椀をひっくり返したようなボディに小さなキャビンを載せた2+2クーペスタイルを採用。しかもルーフは中央部のみキャンバス製で、ガラス製リアウインドウと一緒に後部に手動格納されるという“オープンカー”でもありました。

内装も凝っており、スイッチ類の多くが専用設計という贅沢さで、特別な雰囲気がさらにアップしていました。本革シートを奢って高級感を獲得したことにより、Be-1やパオの大衆車的なイメージからも脱却。優雅な雰囲気も漂わせていました。76psを発生するMA10ET型ターボエンジンが搭載されたことも大きなトピックでした。なお、製造は高田工業でした。

パイクカー第3弾ともなれば人気も下火に……と思いきや、発売を開始するとこれまた大注目車種に。販売方法は過去2回の反省を踏まえ、総数2万台を3回に分けて「抽選販売」が行われました。

ところで、フィガロは海外でも人気を博しました。特にイギリスでは、クラシックな雰囲気と右ハンドルが好まれ、正規輸出されていないのにオーナーズクラブがあるほどです。日本人の「カワイイ」は、イギリスでも同じように受け止められたのですね。

その4:番外編! 商用車も楽しく…今見ると逆に斬新すぎるバン「S-Cargo」(G20型)

日産 エスカルゴ

さて、最後に「S-Cargo」を振り返りましょう。マーチベースの乗用パイクカーと別の流れなので、番外編として設けました。「S-Cargo」は、「レトロ調」「かわいくて楽しいクルマ」のパイクカーコンセプトを商用車にも展開したクルマで、「エスカルゴ」と読みます。

その由来はまさにそのカタツムリのようなカタチでした。ベースは意外にも1978年登場の初代パルサー(N10型)に設定されていたパルサーバン。日産の標準的なライトバンだったADバン(VB11型)ではないがポイントです。パルサーバンが選ばれたのは、リアサスペンションがリーフリジットではなく、低い床を実現できるフルトレーリングアーム式独立懸架だったためでした。

その上にフルゴネット・タイプ(ボンネット+背が高い箱型車体)のボディを構築、丸いボンネット、丸いルーフの切り立ったテールゲート、極めてモダンでシンプルなデザインは、今見ても古さを感じません。インテリアも斬新。棚のような平面ダッシュボード、センターメーター、インパネシフトなどを採用しつつ、不必要なものがないという潔さが特徴といえます。

S-Cargoの販売方法は台数制限も抽選もなく、注文すれば手に入るという受注生産が採られました。ちなみに約2年間にわたって日産車体が1万650台ほどを生産していますが、丸いボンネットは職人による手叩きで作られていたそうな……。

それにしてもデザイン過多な印象が多い現在から見ると、S-Cargoの余計な要素がないデザインはむしろ斬新。しかも、車種統合が進み各メーカーの個性がどんどんなくなっていく昨今の商用車界を思うと、専用設計、受注生産で遊び心溢れたバンモデルを作ってしまうという「贅沢」さがすごい、と思ってしまいますよね。

[筆者:遠藤 イヅル/Photo:NISSAN]

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