法王、バチカンについておさらいしよう フランシスコ法王の来日(第1部 入門編) 上野景文

 6年前ローマ法王に就任した際、国際的大旋風を巻き起こしたあのフランシスコさんの来日が、この11月下旬に実現する。13日に、日本とバチカン両政府から発表があった。10年前現地に大使として派遣されていた者として、今回の訪日の成功を期待しつつ、法王来日につき、2回にわたってお話しする。 

ローマ法王フランシスコ(ロイター=共同)

 言うまでもなく、日本はキリスト教国ではない。その日本に、法王は何故遠路はるばる来訪するのか。と言う視点に立ち、本稿では、「法王来日の意味」を探る。ただ、その本論に入る前にどうしても触れておきたいことがある。それは、法王を巡る世界は、現代人の尺度から言うと、「不思議」な所、「異例」な所に映ると言う点だ。キリスト教に縁の薄い日本人の場合、なおさらそう言える。そこで、今回は「入門編」として、バチカンなどにまつわる「不思議」さや謎を晴らしてくれる4つの「鍵」にフォーカスする。この予備知識があると、11月の法王来日をより身近に感じていただけるものと思うし、次回お話する本論(訪日の意味)をよりすっきりご理解いただけるものと思う。

(1)   第1の「鍵」  カトリック教会の「異例」性

 まず、世界に根を張るカトリック教会の「不思議さ」について。一般論になるが、宗教団体なるものは分裂するのが「常態(普通の姿)」だ。一つには、正統性を巡るイデオロギー論争があるからであり、一つには、跡目相続を巡る人的争いがあるからだ。この2つが相まって、プロテスタントであれ、東方正教会であれ、イスラムであれ、仏教であれ、神道であれ…、宗教団体は総じて、「一体性」保持に悩み、分派分立が繰り返される。 

 これと対照的なのが、カトリック教会だ。かれらは、2000年の長きにわたり「一体性」を保持し、併せて、(国、民族、文化の違いを超えて)世界大の組織を維持している。その意味で、カトリック教会は「普通(ordinary)」でない。文字通り、「異常な(extra-ordinary)」機構だ。ただ、日本語の「異常」は否定的トーンが強いので、ここでは、「異例」と言う言い方にとどめておく。

  この「異例性」を可能にしたものは何か? それは、他ならぬローマ法王(という機構)だ。法王は、圧倒的、超越的な「権威と権力」を併せ持つことで、巨大な機構を束ね、統治する。イデオロギー論争や人的対立があっても、絶対的権威をもって、これを収める。遠心力を抑える重しでもある。法王にこの絶対的権威がなかったなら、カトリック機構が2000年にわたり、世界的広がりをもって「一体性」を保持することは不可能であったはずだ(分裂と抗争に明け暮れたものと思われる)。

  ちなみに、この法王の「権威」の源は、福音書の一節にさかのぼる。使徒ペテロは、生前のキリストから「(自分亡きあと、汝は)羊(信徒)の世話をせよ」と命じられた。法王になれと言う含意があった訳だ。だから、ペテロは後に初代ローマ法王となったが、法王としての正統性(権威)は、このキリストのことば(命令)に由来する。この正統性は、歴代法王が引き継ぐことで今日に至っている。2000年前のキリストの言葉が、今日なお、法王の「権威」の源という訳だ。それも、ただの権威でない。絶対的権威なのだ。相対主義が強い日本文化には「絶対」という意識が希薄なため、法王の権威の「凄味(すごみ)」は実感しにくいが、この「絶対」性抜きにカトリックの世界を理解することは困難だ。

  以上要するに、カトリック世界では、「権威」の源としての「ローマ法王」が、万事の出発点(原点)であり、カトリック教会の真髄はこの「法王本位」にある。

 (2) 第2の「鍵」  法王聖座(HS)とバチカン市国(VCS)

  さて、法王は世界のカトリック共同体全体に君臨し、これを統治するが、法王を支える統治機構が、これまたややこしい。幾つもの概念が入り混じるからだ。

  ① 法王 まず、トップに君臨するのは、言うまでもなく、ローマ法王だ。「君主」格として。 

 ② 法王聖座 この法王と一体となって、これを支えるのが「法王聖座(the Holy See:以下HS)」だ。HSは、「君主」たる法王の意を体し、2000年にわたり世界のカトリック教会を統治して来たカトリック世界の総司令部だ。HSは、宗務が中心であるが、外交も手掛ける。つまり、HSは、「宗教機関」の顔と、(後者との関連で)「国家」としての顔と、二つの顔を併せ持つ。

  ③ バチカン市国 このHSとは別物となるが、「バチカン市国(the Vatican City State : 以下VCS)」なる存在がある。VCSとは何かと言えば、19世紀後半、イタリア国王に領土を奪われた法王の「主権」を可視化するために(=国家としての「体裁」を確保するために)、90年前(1929年)に創られた超ミニ国家で、乱暴な言い様になるが、HSに「居場所」を提供する「不動産屋」的存在だ。VCSは、HSとは異なり、90年の歴史しかなく、世界とのつながりもない。法王の権威を体するのは、2000年の歴史に支えられ、世界とつながるHSであり、VSCにはその任にはない。

  ④ 2つの国 上記の諸点は複雑であるので、今少し説明を追加する。結局、法王の傘下には2つの「国家」がある。ひとつはHS、ひとつはVCSだ。HSは、宗務から外交まで、法王の重要な仕事を手掛ける。これに対し、VCSの役割は、宮殿、庭園、博物館の管理、切手やコインの発行などに限定される。つまり、前者は「統治(Governance)」を、後者は「管理(Administration)」を手掛けると言うことだ。ただ、HSもVCSも、国際法上は「国家」と位置付けられている。

  ⑤ 法王外交 関連して、法王外交につき補足する。法王外交は、HSを通じ進められる。VCSを通じてではない。だから、国連、UNESCOなどの国際機関にも、例外はあるが、HSとして参加している。VCSではない。同様に、各国大使は、HSに対し派遣されているのであり、VCSに対してではない。

  ⑥ 俗称としてのバチカン 報道ほかでは、HS、VCS全体を「バチカン」とする場合が多い。この俗称としての「バチカン」は、VCSを指すことも、HSを指すこともある。広義の「バチカン」ということだ。世間で「バチカン」が語られる場合には、大概はこの俗称だ(本稿でも、以下では、この俗称に頼ることとする)。

  このように、法王を支える機構は複雑で、全体を整然と整理することは簡単でない。日本ではなじみの薄いHSを含め、それらを知らずして、バチカンは深くは理解出来ない(ちなみに、日本でバチカンが語られる場合、その多くはHSを指している)と言うことだ。

 (3) 第3の「鍵」  バチカンは「近代的国家」ではない

    繰り返しになるが、法王を支える機構であるHS(バチカン)は、「国家としての顔」を持つ。国家としての扱いを受けていると言い直しても良いだろう。このバチカン、国家としては極めて「異例」であり、今日の国際社会の常識に合わない「不思議」な存在だ。3点指摘したい。

  何よりもまず、バチカンは、近代的な意味の「国家」としての要件を欠く。一般論になるが「近代国家」の要件と言えば、「国民国家」であること、民主主義を基軸としていること、政教が分離していることの3点が重要であるが、バチカンはこのどれにも該当しない。という次第だから、「近代国家」とは言い難い。およそ「国家」としては珍種なのだ。

  振り返れば、中世ヨーロッパでは、宗教起源のミニ国家は珍しくなかった(ドイツ騎士団、マルタ騎士団など)が、その大半は近世までに淘汰(とうた)された。HSは、宗教起源のミニ国家の生き残りと言う面がある。その意味で、「プレモダン(前近代)な国家」なのだ。

  別の角度から見ると、こうも言える。近代国家、国民国家では、まず国家(国民)があって、それに大統領が仕える。たとえば、フランスと言う国があって初めて、マクロンと言う大統領がいる。ところが、法王とHSの関係は違う。法王がいるからHSがあるのであり、その逆(HSがあるから法王がいる)ではない。「初めに法王ありき」であり、主役(主権者)はあくまで法王なのだ。権威の源は法王であり、HSではない。「法王本位」は、ここでも貫かれている。このような国家は、HS(バチカン)以外には見当たらない。

 (4) 第4の「鍵」 法王の磁力

  「プレモダン国家」と言うべき、すなわち、現代的尺度では理解しにくいHS(バチカン)であるが、実態はと言えば、世界各地から超VIPの来訪が、後を絶たない。「時代の先端」を行っている面すらある。このギャップ、どこか面白い。言うまでもなく、かれらは、HS(バチカン)に来るのが目的ではなく、法王に会うことが目的なのだ。ローマ法王には、世界の超VIPを引きつける「磁力」がある。次回(第2部)は、この法王の存在感をベースに、法王来日の意味を探る。

  この入門編では、法王、カトリック教会、HS、VCSを登場させ、かれらの間の「四角関係」につき説明するとともに、その基軸は「法王本位」にあるとお話しした。特にHSについては、日本国内で語られることが少ないので(大抵は俗称としての「バチカン」で済まされている)、「えっ」と感じられた方もおられると思うが、バチカン(広義)理解のキーワードである点、強調しておく。

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 うえの・かげふみ 文明論考家 1948年東京都生まれ。東大卒後、外務省入省。英ケンブリッジ大修士課程修了。スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使などを経て、2006ー10年駐バチカン大使。著書に「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日)」など。

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