大野雄大でなんと6人目 中日のノーノー達成、平成以降は12球団でダントツ

中日・大野雄大【写真:荒川祐史】

大野雄は14日の阪神戦で史上81人目、球団では12人目の快挙を達成

 中日の大野雄大投手が14日、本拠地ナゴヤドームで行われた阪神戦で史上81人目92度目のノーヒットノーランを達成した。立ち上がりから阪神打線に付け入るスキを与えず。9回を126球で投げ抜き、無安打1四球9奪三振で快挙を達成した。9月6日のロッテ戦でソフトバンクの千賀滉大投手が達成しており、わずか8日で令和2人目の偉業達成となった。

 セ・リーグでは2018年7月27日に巨人・山口俊投手が中日戦(東京D)で達成して以来、42人目。中日では2013年6月28日に山井大介投手がDeNA戦(横浜)で達成して以来、6年ぶり。また、本拠地ナゴヤドームでの達成は、2006年9月16日に山本昌投手が阪神戦で達成した史上最年長ノーヒットノーラン以来、13年ぶり2人目だった。

 中日のノーヒットノーランは大野雄で実に12人目となる。12球団でノーヒットノーラン達成者が最も多いのは、数々の名選手が在籍した巨人で16人。中日の12人はこれに次ぐ2番目の多さを誇る。

 中日で初めてノーヒットノーランを達成したのは、前身の名古屋時代、1942年7月18日の阪急戦で達成した西沢道夫。これまでに巨人は沢村栄治やスタルヒンなどが6回達成、阪急(現オリックス)も4回達成した。

平成以降は実に6人が達成、巨人や阪神の3人より遥かに多い

 1943年10月12日の大和戦では、のちに太平洋戦争の神風特攻隊で殉死した石丸進一が達成。これが中日で2人目の快挙だった。その12年後、1955年5月10日の国鉄戦では杉下茂が成し遂げ、これが球団名が「中日」となってから最初のノーヒットノーランだった。

 1964年8月18日に中山義朗が巨人戦で達成すると、しばらく中日からのノーヒットノーランは出なくなる。そこから23年のブランクを経て、久々の快挙を達成したのが近藤真一。1987年8月9日の巨人戦で、プロ野球史上唯一の偉業となる初登板ノーヒットノーランを達成している。これが昭和最後のノーノーだった。

 平成に入ると、中日勢は小刻みに達成者を出している。1996年8月11日の巨人戦で野口茂樹、2000年4月7日の横浜戦でメルビン・バンチ、2002年8月1日の巨人戦で川上憲伸、2006年9月16日の阪神戦で山本昌、そして2013年6月28日の横浜戦で山井大介と5人が達成。初の達成となった大野雄を含めると、平成以降で実に6人が成し遂げている。

 平成以降のノーヒットノーラン達成者は計25人で、中日の6人は12球団でトップ。歴代達成者数でトップの巨人は、平成に入って以降は槙原寛己(完全試合)、杉内俊哉、山口俊の3人。阪神やヤクルトも3人で中日はダントツの数となっている。2リーグ制後の10人も、巨人の9人を抜きトップとなった。(Full-Count編集部)

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