「スーパー外交官」としての法王 フランシスコ法王の来日 (第2部 解説編) 上野景文

  第1部でも触れたが、ローマ法王には、「宗教指導者」としての顔と、世界でも「スーパー外交官」としての顔がある。11月の来日は、双方の立場を反映する(いずれかに偏ることなく)ものとなるとみられる訳だが(二つの顔は整然と分けられるものではない)、本稿では、後者にウエートを置き、すなわち、「スーパー外交官」たる法王の来日という点を中心に、その意味、背景につき、3つの切り口から――「平和の宣教師」「『南』に目を向けたフランシスコ」「アジアに目を向けたフランシスコ」――論じてみたい。

  1.「平和の宣教師」

 あれは、12年前のことであった。バチカンに赴任して間もない2007年1月に、私は、各国大使と共に、バチカン宮殿の「王の間」に招聘(しょうへい)された。法王ベネディクト16世(当時)による恒例の新年外交演説を聴くために。この「王の間」は、16世紀末、天正少年使節が法王グレゴリオ13世に謁見した所でもある。

 ここでの法王の演説は50分に及んだ。その間、法王は、貧困と格差、紛争の終結、非核化と軍縮、移民・難民問題など、多岐にわたる国際問題や社会問題を取り上げ、多くの問題につき意見を表明した。宗教問題にはほとんど触れなかったこともあり、その内容だけ見たら、国連事務総長の演説と誤解しかねないものであった。

  その時、私は、国際社会に警鐘を鳴らす法王の「やる気」を実感した。ローマ法王は「平和の宣教師」なのだと。「国際社会の良心」と言っても良いであろう。褒め過ぎと批判されるかもしれないが、このような「国際公共財」的役割を果たす機関が国際社会に少ないだけに、法王の役割はとても貴重だ。なお、法王の演説は、主要国際メディアが報道するほか、世界の多くの指導者が目を通すこともあり、そのメッセージは国際的「浸透力」を有する。

  ベネディクト法王の後任となったフランシスコ法王も、前任者同様、強力なメッセージを発し続けている。最近の言動を振り返れば…。

 

2月にアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで、ミサを行う競技場に到着したローマ法王フランシスコ(ロイター=共同)

 ①  フランシスコ法王が特に重視しているテーマは「貧困と格差」だ。南米出身で、「教会は貧しい人に寄り添い」、「バチカンは軸足を『南』にシフトせよ」と説く法王は、グローバリズム、なかんずく、市場至上主義、先進国の「物質主義」、南北の経済格差を絶えず批判。「富裕国は、欲望とぜいたく、過剰消費を断ち、質素な生活に戻り、貧困者・弱者・難民に手を差し伸べよ」と迫る。

  ②  移民・難民問題についても、法王は、欧米における反移民・反難民の動き、「壁」の構築などを強く批判。

  ③  同時に、法王は、シリア、イエメン等での内戦、軍縮、非核化、武器の国際的取引などについて、警鐘を鳴らし続ける。特に、近時、非核化との関係で、核保有国の消極的姿勢への批判を強めている。

  ④  加えて、現下の地球環境劣化に危機感を有する法王は、自然との調和の重要性を説くと共に、過剰消費、資源浪費の文化を抜本的に改めよと、先進国に迫るほか、アマゾン森林伐採を批判する。

  ⑤  さらに、国連等の国際機関を軽んじる政治指導者が増えている点にも苦言を呈し、多国間外交の重要性を訴える。

  このように、フランシスコ法王のメッセージは、総じて、日本人が共感できる主張だ(中には、われわれの耳に痛いものもあるが)。逆に、トランプ米大統領の主張とは、なぜか、真逆のものが多い。いずれにせよ、「国際社会の良心」として多くの国の指導者から一目おかれる法王が、日本滞在中に世界に向けて発するメッセージは、「来日の意味」が凝縮されたものとなるであろう。特に非核化問題については、広島、長崎から、核保有国の怠慢を突く強いメッセージが発せられるであろう。

  2.「南」に目を向けたフランシスコ

  南米出身で、「教会は貧しい人に寄り添え」、「バチカンは軸足を『南』にシフトせよ」と説くフランシシコ法王は、就任以来、バチカンに新風を吹き込み、幹部に衝撃を与えたようだ。長年にわたり、「バチカン中心主義」、「欧州(北)中心主義」になじんできた幹部の中には、法王の発想についていけない人が少くないようだ。

 かかる発想に立つ法王は、たとえば、外遊先選定に際し、「南」を優先。中南米、アフリカ、アジアに軸足をシフトしている。この9月には、2度目のアフリカ訪問を手掛けたほか、近年イスラム諸国への訪問が目立つ。加えて、高位聖職者の人事についても、「北」(欧州)から「南」出身者へのシフトを進めている。このため、「既得権」を奪われたと感じている欧州の高位聖職者からの反発が増えているようだ。

  3.アジアに目を向けたフランシスコ

  「南」重視のフランシスコ法王は、アジアとの関係強化にも熱心だ。言うまでもなく、アジアでは、仏教、ヒンズーなどの伝統宗教が根強く、カトリックの浸透度は概して低い。このため、バチカンのアジアへの関心は従来低く、アジア・バチカン関係は総じて「疎遠」であった。保守色の強い前法王ベネディクト16世は、在位8年の間アジアに足を踏み入れなかった。が、フランシスコ法王の登場で、バチカンの対アジア関係は転換を始めた。

  まず、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーなどの低所得国にも積極的に足を踏み入れ、「平和の宣教師」としての役割を強めている。加えて、昨年9月には、中国政府との間で、難題中の難題と言われた司教任命権問題を巡って歴史的「暫定合意」を達成。もって、バチカンと北京の間に対話のパイプを築いた。

  この中国との「合意」については、「中国のペースにはめられた」などの批判が後を絶たないが、国際メディアなどがなぜか触れない点がある。それは、「宗教の中国化」を声高に唱えて来た習近平総書記が、その理念に反する決断をしたこと、すなわち、中国カトリック教会に対するローマ法王の権威を認めたことについてだ。

 習氏の大胆な妥協は、米国の外交攻勢に直面する中で、法王の「世界的存在感」に着目した同政権が、これを利用すべく打ち出した政治色の強い決断であったと見る。もっとも、国内の反発を恐れてか、中国当局は、かかる妥協(合意)に踏み切ったことの詳細は、公表していない。と言う次第もあり、バチカンだけが譲歩させられたとの一部保守派の批判は当たらない。

  ただ、習政権が、新彊でのイスラムの過酷な弾圧を含め、宗教面での引き締めを一段と強めている現状に照らせば、保守派の対中不信にはうなずける面がある。中国が今後、バチカンとの合意の精神に反する行動に出ないか、注視する必要がある。

 なお、イエズス会出身のフランシスコ法王は、F.ザビエル、マテオ・リッチなど同会の先達がアジアに進出して以来同会を特徴づけている「フロンティア精神」を継承しているためか、日本や中国に「特別の思い」がある趣だ。それが今回の対中合意を促した面は否定できない。

 同じ思いから、若き日のベルゴリオ青年は、日本での宣教を志願したが、健康上の理由からかなわなかった。が、この日本への思いが、今回の訪日決断にあたり、法王の背中を押したものと見てよさそうだ。加えて、この法王は、日本の潜伏キリシタンの足跡は、世界各地で迫害を受けている宗教者にとり「励まし」となる旨の発言を、近年数次にわたり繰り返している。この点も、対日関心を喚起したのではないか。

  何はともあれ、この6年間フランシスコ法王が、アジアとの「心の距離」短縮に傾注して来た点は、評価されてよい。 法王来日は、そのような新しい文脈の中で実現される訳だ。

  4.まとめ

 この第2部では、法王来日の意味、背景を探るべく、法王の3つの「顔」、すなわち、「平和の宣教師」としての「顔」、バチカンに新風を吹き込んだ改革者としての「顔」、アジアに目を向けたフランシスコ、のそれぞれに触れた。特に、第1点との関連で、こう付け加えておきたい。国際協調主義に背を向ける政治指導者が発言力を増している今日、国際協調主義へのこだわりを示すフランシスコ法王の存在意義は、いや増している、と。

 (うえの・かげふみ 元駐バチカン大使)

法王、バチカンについておさらいしよう フランシスコ法王の来日(第1部 入門編) 上野景文

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