【世界から】スイス 干し草の上で楽しむ人気のイベントとは?

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役者は毎年入れ替わる。今年の演者は写真の4人だ(C)hof-theater ch

 1970年代の放送にもかかわらず、今なおCMに取り上げられるなど人気のアニメ「アルプスの少女ハイジ」。主人公のハイジが眠る「干し草のベッド」に憧れる日本人は、きっと多いはずだ。アニメの中だけだと思われている読者の方も多いと思うが、物語が生まれたスイスでは「干し草のベッド」で眠れる農家や宿泊施設が少なくとも約100軒あり、人気を呼んでいる。使われるのは、日光をたっぷり浴びて、夏の風に当たったすがすがしい香りの柔らかい干し草だ。

 スイスの人にとって、親しみ深いといえるこの干し草。農家に設けられた干し草で作った座席で観賞する喜劇も人気を呼んでおり、公演日によっては、チケットが完売になるほどだ。

▼口コミで人気に

 農家や家畜、干し草などは、やはりスイスらしさを象徴するものなので、スイス人にとっては大事なのだろう。とはいえ、町に住む人たちは普段、あまり農家を訪れない。そこで、農家と町との接点を作ろうという目的で立ち上げたプロ劇団「ホフ・テアター(農家劇)」が、国内の農家を舞台にした公演を行っている。毎年5月初めから9月末まで、スイスのドイツ語圏にある約40軒の農家を移動しながら人々に笑いを届けている。

 農家にある倉庫などにシンプルな舞台をセッティングし、客席作りは各農家が担当する。農家らしさを味わってもらうおうと、椅子よりも所有している干し草を使うことが多い。同劇団で演出家兼監督を務めるハンス・ペーター・インコンディさんは「干し草はいい香りがして、観客のみなさんたちに大好評です」と話す。屋根があるため、雨天でも安心だ。

 収容人数は倉庫の大きさ次第で、大きい倉庫の日だと300人近くにもなるそうだ。小さい舞台だと約60席で、たとえば標高1800メートルの農家小屋で65席だったという。

 幕が開くのは午後8時だ。公演期間が5カ月限定なのは、倉庫に暖房設備がないため。8月にチューリヒ近郊で鑑賞してきたが、真夏のこの時期でも夕方には涼しくなり、薄着だと倉庫内は肌寒いと感じる程度まで冷える。

 オンラインの予約状況を見ると、完売になっている日が所々見られる。鑑賞した日も公演前に売り切れになった。大々的に宣伝しているわけでも、マスコミが頻繁に取り上げてくれるわけでもない。それでも人気なのは、口コミの効果が大きいのだろう。インコンディさんも「期間内に何度でもいらしてください。そして、ぜひ口コミで農家劇を広めてください」と舞台あいさつでアピールしていた。

チューリヒ近郊の農家に設けられた干し草で作った客席。感触が心地良いからだろう。裸足になる人や寝転がって鑑賞する人がいた=岩澤里美撮影

▼プロの舞台を身近に

 「ホフ・テアター」の歴史は意外に長い。2005年に結成し、ほぼ毎年公演してきた。とにかく笑いを誘おうと演じるのは必ず喜劇で、演目は自作の脚本が多くシーズンごとに変わる。自ら演じることもあるインコンディさんと技術責任者シリル・アルトヴェッグさんが話し合って、内容を決めている。

 今年は、ある農家と狩人の話だった。あらすじは、鹿を違法に狩った男が農家の娘を連れ去り、娘に恋した狩人が娘を助け出すというものだ。鑑賞した晩は、役者たちが歌うスイス人におなじみの歌を一緒に口ずさむほか、ダンスでは自然と手拍子するなど、観客たちはとてもくつろいでいる様子だった。

 「こんなに個性的な劇は見たことがありません」「最高に楽しい夜でした」「とても、おすすめです」―。劇団にはこんな好意的な声が多く寄せられているという。

 インコンディさんたちは劇団を創設した当初から、農村部を含む郊外に住む人たちが文化的な催しに参加するチャンスを増やすことも視野に入れて活動している。「農家がある地区の人たちは、町の劇場に行くことがありません。演じる側から農家へ行けば、そういった人たちにも演劇に親しんでもらうことができます」。

 演じる側にとっても農家劇は特別だ。「役者たちの前稽古は、5週間みっちり行います。各農家では、舞台の準備から本番、そして後片付けに至るまで、と朝から夜まで過ごします。このほかにも、もちろん仕事はあります。非常に労力がかかりますね。でも、今まで出演した役者たちは『移動劇は楽しくて、ぜひまた農家劇で演じたい』と本当に口をそろえるんですよ」。インコンディさんがうれしそうに語る。

▼公演前後の飲食も魅力  

 「ホフ・テアター」の魅力は、これまでに紹介してきた「舞台が農家」と「劇の内容」ということにとどまらない。劇が行われる各農家がホストファミリーになって、公演前に有料の夕食を用意するのだ。農家ならではの新鮮な食材の料理が味わえるのは、何よりのごちそうだろう。

 また、中には劇の休憩時間にシャンパンなどの振る舞い酒やジュースを出す農家もある。劇が終わった後にも場所を提供して、観客が飲み物を注文し、観劇の余韻にひたりながら語り合えるようにおもてなしする農家もある。

 今シーズンの公演は終わりに近づいているが、来年の「ホフ・テアター」を多くの人が待ち遠しく感じているに違いない。(スイス在住ジャーナリスト、岩澤里美=共同通信特約)

公演が行われる農家が作る夕食。観劇だけではなく、これも魅力的だ=岩澤里美撮影