現在バルセロナで大ブレイクを果たしている16歳のFWアンス・ファティ。すでに2ゴールを決めており、世界でも有数のヤングスターと評価されるようになった。
彼はギニアビサウの生まれで、さらに旧宗主国のポルトガル代表に入る資格があるが、スペインでプレーすることを求めているそうだ。
ということで、今回は「スペインの国外で生まれたスペイン代表選手」を特集してみよう。
ロドリゴ
出生国:ブラジル
元ブラジルU-23代表選手のアダウベルトを父に持ち、リオデジャネイロで生まれたロドリゴ。10代前半でスペインに移住し、ガリシア地方で育った。U-19からスペイン代表を選択しており、2012年にはオリンピックにも出場。昨年のワールドカップでもメンバーに選ばれている。
ジエゴ・コスタ
出生国:ブラジル
非常に貴重な「ブラジルA代表の経験を持ちながらスペインに帰化した」選手。生まれはブラジルの小さな街ラガルトで、ポルトガルでプロデビュー。2007年にアトレティコ・マドリーと契約した後、2014年にスペインへの帰化を完了させた。
チアゴ・アルカンタラ
出生国:イタリア
父親は元ブラジル代表選手のマジーニョだが、生まれはイタリア南部の町サン・ピエトロ・ヴェルノティコだった。2005年からスペインで育ち、そのまま代表に入っている。逆に弟のラフィーニャはスペインのユース代表でプレーしていたが、最終的にブラジルを選んでいる。
マルコス・セナ
出生国:ブラジル
スペイン代表の黄金時代に中盤で渋いプレーをしたボランチ。彼はブラジルのサンパウロ生まれで、2002年からビジャレアルで長くプレーした。2006年に市民権を獲得して代表入りし、直後のワールドカップにも出場している。
2015年にアメリカの独立リーグでプレーしたのを最後に引退し、古巣ビジャレアルでフロントスタッフを務めている。
マリアーノ・ペルニア
出生国:アルゼンチン
アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。2003年に「スペイン最古のクラブ」レクレアティーボに加入し、その後ヘタフェ、アトレティコ・マドリーでプレーした。
2006年にアルゼンチンとスペイン両方から誘いがあったが後者を選択し、直後のワールドカップに出場。予想外の招集だったため、電話を受けたときは休暇中で、さらに結婚式を延期しなければならなかったそう。
クーロ・トーレス
出生国:ドイツ
2002年に行われた日韓ワールドカップのスペイン代表メンバーだった右サイドバック。同チームの歴史上唯一の西ドイツ生まれである。バレンシアで長くプレーしたが、晩年は多くの怪我に悩まされた。
現在はプロ監督として活動しており、昨季は2部のコルドバを率いていたものの2月に解雇されている。
ドナト
出生国:ブラジル
EURO1996のメンバーだったいぶし銀の職人。ブラジル生まれであるが、アトレティコ・マドリーとデポルティーボ・ラ・コルーニャでリーガ500試合以上に出場。41歳までプレーを続けており、外国生まれの選手としてもっとも多くの試合でプレーしたレジェンドである。
引退後は一時監督をしていたものの、現在はデポルティーボ・ラ・コルーニャの財団で代表を務めるなど社会活動を中心としている。
フェレンツ・プスカシュ
出生国:ハンガリー
「マジック・マジャール」と呼ばれた最強ハンガリーのエースだったプスカシュ。母国に帰ることを拒否し、31歳でレアル・マドリーに加入。35歳でスペイン国籍を取得し、1962年のワールドカップに出場している。
引退後は様々なクラブを監督として率いたが、2000年にアルツハイマー病と診断され、6年後に肺炎で死去している。
アルフレド・ディ・ステファノ
出生国:アルゼンチン
レアル・マドリーの英雄として知られるディ・ステファノ。当時は代表の鞍替えが可能だったため、アルゼンチン、コロンビア、スペインの3つで出場したという珍しい選手の一人だ。
引退後は指導者として活動し、2000年にはレアル・マドリーの名誉会長に就任。2014年に2度目の心臓発作を起こして倒れ、7月7日に死去している。
なお、スペイン代表で国外生まれの選手は41人。10試合以上に出場したのは14名である。