【MLB】活躍は僅か2年も鮮烈な印象残したスラッガー グリーングラス氏が91歳で死去

ジム・グリーングラス氏の通算成績

1953、54年の2年で計325安打、47本塁打、195打点の活躍

 わずか2年ながらスラッガーとして好成績を上げたメジャーリーガーのジム・グリーングラス氏が9月9日、死去した。91歳だった。

 グリーングラス氏は1927年10月24日、ニューヨーク州で生まれ、43年に16歳でヤンキースと投手として契約。この背景には、第2次世界大戦によって選手層が薄くなっていたことがある。すぐに外野手に転向し、46~47年は兵役に就いた。

 52年8月に複数選手によるトレードでレッズに移籍し、この年の9月にメジャーデビュー。打数は少ないながらも打率.309(68打数21安打)、5本塁打を放ち、注目される。

 53年は、中軸でフル出場。173安打20本塁打100打点、打率.285(25位)をマーク。チームにはテッド・クルズースキー(40本108打点)、ガス・ベル(30本105打点)という強打者がいたが、これに次ぐ成績で注目された。この年の新人王投票では6位にランクされた。

 翌54年も中軸を打って、152安打27本塁打95打点、打率.280(28位)、本塁打は49本で本塁打王になったクルズースキーに次ぐチーム2位。順調にスター選手へのキャリアを重ねていると思われた。

 翌55年4月30日、チームはフィリーズと大型トレードを実施。グリーングラスはフィリーズに移籍した。フィリーズでは4番を任されたが、成績は急落。このシーズンは両チーム合計で92安打12本塁打38打点、打率.254にとどまる。翌年以降も成績は上がらなかった。

 まだ20代半ばのグリーングラスだったが、54年9月に足首を負傷。以降は深刻な静脈炎(血行障害)を抱えることになった。

 57年にフィリーズを退団。翌年からパシフィック・コーストリーグのチームを渡り歩くことになる。MLBは当時、アメリカ西海岸には進出しておらず、西海岸で同リーグは多くの観客を集めていた。また同リーグにはMLB傘下のチームもあり、グリーングラスはここでプレーしながらMLB復帰を考えていた。しかしメジャー球団から声がかかることはなく、61年限りで引退した。

 MLBの通算成績は504試合1793打数482安打69本塁打282打点、打率.269だった。

 185センチ、90キロと、がっしりした体格の右の中距離打者。54年4月13日のミルウォーキー・ブレーブスとの開幕戦では1試合4二塁打のMLBタイ記録をマークしている。

 引退後は野球界を離れ、ジョージア州で副保安官などを務めた。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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