野球大国ベネズエラに異変… 政治的混乱が球界に与える影響 元記者が伝える現状とは

ベネズエラに近いコロンビアの街サンタマルタでは、ハイパーインフレで紙切れ同然になったベネズエラ紙幣で財布などをつくり、売っている避難民の姿があった【写真:福岡吉央】

MLB球団はアカデミーを閉鎖、ベネズエラの有望選手はドミニカ共和国に流出

 政治的な混乱が続き、深刻な経済危機にあるベネズエラ。3冠王ミゲル・カブレラ(タイガース)、17年MVPホセ・アルトゥーベ(アストロズ)らMLBに数多くの選手を輩出する野球大国として知られるが、近年の治安悪化が原因で、ベネズエラ人選手、そして中南米の野球界を取り巻く環境が変わってきている。通訳として中南米の野球事情に精通している元スポーツ紙記者・福岡吉央が、その実態に迫った。

 カリブ海に面し、南米では唯一、サッカーよりも野球が盛んな国、ベネズエラ。有望な若手を育成しようと、これまでMLBの数多くの球団がアカデミーを開設してきた。だが、強盗目的でクラブハウスが襲撃されるなど危険性が高くなったため、ここ数年間でほぼ全球団がアカデミーを閉鎖。2016年からは選手育成のためのサマーリーグも開催されなくなった。今でも冬季限定でアカデミーを開く球団もいくつかあるが、10年も経たないうちに経営は大幅縮小された。

 この影響で、ベネズエラの将来有望な若手選手は、ドミニカ共和国のアカデミーに入団する流れが構築されている。多くのMLB球団はベネズエラのアカデミーを閉めた後、ドミニカのサマーリーグチームを2つに増やした。だが、中には1チームだけのままのところもあり、そうした球団では人数増加のあおりを受けて、地元のドミニカ人選手がチームに残れないケースも。また、MLBアカデミーから契約を解除されたベネズエラ人選手が母国に帰らず、そのままドミニカに残り、再びメジャー球団と契約しようと私設アカデミーでプレーする姿も見られる。

 同じような現象が、ベネズエラからの避難民が世界で最も多い隣国コロンビアでも起きている。母国から逃れてきたベネズエラ人選手がそのままコロンビアに住み着き、同国のウインターリーグでプレー。中には、外国人枠の関係で選手登録に至らずも、生活費を稼ぐために薄給のブルペン捕手の座を得て、何とか家族を養っている選手もいる。同国には夏もセミプロのリーグがあり、給料は高くても月5万円程度。だが、そこにもベネズエラ人選手の姿がある。

 中南米各国のウインターリーグ王者が集い、カリブNO.1の座を争うカリビアンシリーズにも影響は及んでいる。同シリーズの開催地は各国持ち回りとなっており、2018年はベネズエラのバルキシメトで開催予定だったが、政情不安を理由にメキシコのグアダラハラに変更。バルキシメト開催は翌年に延期された。だが、19年も大統領選挙を巡って政情はさらに混迷が続き、MLB機構はマイナーも含む30球団傘下の全選手にベネズエラへの渡航を控えるように要請。最終的にはカリビアンシリーズの開催地がパナマに変更された経緯がある。

 もちろん、ベネズエラで開催されるウインターリーグへの影響も大きい。これまで、3Aレベルの将来有望な若手らを中心に、多くのベネズエラ人選手が同リーグでプレーしていた。だが最近では、2軍に相当するパラレラリーグから、8チーム中6チームが資金難のため撤退。冬限定で開いているメジャーアカデミーのチームが合同参加し、なんとかパラレラリーグを成り立たせている状況だ。2017年からは国営石油会社PDVSAがリーグに運営資金を投入。昨季は合計約1200万ドル(約13億円)が投入され、それを全8球団が分配するなど、国の“公費”でリーグ経営が成り立っている状況だ。

配給される食料を求め、早朝から店に列を作るベネズエラの人々

国営石油会社PDVSAがリーグに運営資金を投入、その目的とは…

 2018年まで同リーグの球団で働いていた関係者は、PDVSAの資金投入について「ベネズエラでは12月に選挙が行われることが多く、国は国民の政府批判の目を野球へ逸らすことが目的。野球で国民が抱える不満のガス抜きをしようという意図がある」と分析する。試合の入場料は2、3ドル。日本円でも約210~320円程度だが、これは今や国民の平均月収とほぼ同額だという。もはや富裕層以外は日々の生活に必死で、球場に足を運ぶことなどできない。同時に、富裕層の多くが国外に脱出しているため、どこも球場はガラガラだという。前出の関係者は「子供に夢を与えたいという思いで働いていたが、国民の大半はその日の食べ物に困っており、もう野球どころではない。以前はファンが球場に足を運び、ユニホームなどのグッズを買うことでチームの運営が成り立っていたが、もはや国からの資金援助なしにリーグは成り立たない」と内情を明かす。選手たちは当然、表立って政府批判をすることはできず、ある元メジャーリーガーはベネズエラの政情について発言したところ、母国に住む家族のもとに軍人が圧力を掛けに押しかけて来たという。

 リーグはテレビ中継されるが停電が多く、さらに「生中継」と謳いながらも実際は約10秒ほどタイムラグがあり、スタンドから政府を批判するようなヤジが飛ぶと音声が消え、音楽が流れるのだという。国の検閲があるため、放送するテレビ局は国が定めたルールに従うしかない状況だ。前出の関係者は「カラカスの空港では米ドル札を持っていることが見つかると没収され、携帯もチェックされる。ベネズエラに批判的なことを書いているメールやSNS投稿が見つかると、携帯も没収される」と明かす。ベネズエラでは医薬品も慢性的に不足しており、入管で薬が“強奪”されることもあるという。

 ウインターリーグに参加したベネズエラ人選手は母国通貨のボリバルフエルテで給料を支払われていたが、日々通貨価値が下がっている「ハイパーインフレ状態」にあるため、昨季から米ドル払いに変わった。それでも若手選手の月給は500~600ドル(5万4000~6万5000円)程度と、他国のウインターリーグに比べて安い。一方、外国人助っ人の給料は、今やメキシコやドミニカ共和国よりも高くなってきているという。ベネズエラの治安悪化に伴い、プレーを希望する選手が激減しているためだ。かつては米独立リーグの選手に声がかかることは稀だったが、外国人選手が思うように獲得できず、昨年頃からは独立リーグの選手にもオファーが届くようになった。昨夏は米独立リーグでプレーしていた元DeNAの久保康友投手のもとにも、オファーが来たという。

 今季、ベネズエラのウインターリーグに助っ人として参戦予定の選手は、こんな事情を明かした。

「例えば、先発ローテに入れるレベルの外国人投手の場合、メキシコやドミニカ共和国では月1万2000ドル(約130万円)程度もらえるが、今のベネズエラなら月1万5000ドル(約162万円)もらえる。みんな危険を恐れて行きたがらないので、どの球団も金で釣って何とか選手を獲得しようとしている。これまでベネズエラでの報酬はメキシコやドミニカと同じ程度か少し安かったが、数年前から状況が変わった。危険度と給料の上がり方が比例している」

 実際、ドミニカ人やメキシコ人選手が母国リーグでレギュラーシーズンを終えた後、さらなる給与を求めてベネズエラのチームに“移籍”。1月のプレーオフ期間中だけプレーするケースも見られる。

物資が流通せず、棚が空っぽになったベネズエラのスーパーマーケット

ベネズエラ人選手が他国のウインターリーグでプレー、各所でその余波も発生

 野球選手は高収入であるため、ウインターリーグで帰国した際にベネズエラで犯罪に巻き込まれることも多い。今季メキシカンリーグでプレーしたベネズエラ人のオマール・ベンコモ投手は2014年、地方都市のスーパーマーケットでATMから預金を引き出した直後に銃で腹部を3発撃たれた。金目当ての犯行だった。銃弾2発は腹の中心部から側部へと貫通。残りの1発は今も体内に残ったままで、それが原因で試合中に腹痛を起こして降板したこともあるという。

 昨年2月にはパイレーツのエリアス・ディアス捕手の母がベネズエラで誘拐される事件が起きた。身代金目的の犯行だった。そして同12月には、ベネズエラのウインターリーグ参加選手が遠征地から本拠地まで車で移動中に、高速道路に置かれていた岩を避けきれずに衝突。乗車していた元エンゼルスのルイス・バルブエナ内野手、元横浜、ロッテのホセ・カスティーヨ内野手が死亡した。犯人らは強盗目的で高速道路に岩を置いていたという。車を運転していたのは、元ヤクルトで今季メキシカンリーグでプレーしたカルロス・リベロ内野手の代理人だったが、代理人とリベロは無事だった。当時、重体と報じられていたリベロだが、実際には軽傷で数日間入院しただけだったという。「あの事故を忘れることはできない。母国の状況が早く改善されることを願っている」という心からの言葉が、ベネズエラの現状を物語っている。

 母国ベネズエラのウインターリーグでプレー経験豊富な、元DeNAのギジェルモ・モスコーソ投手はリーグの実情をこう明かす。

「敵地への移動はチームバスだし、護衛もつく。食事も1日3食、ホテルで出る。個人でホテルの外に出て街を出歩かない限りは危険な目に遭うことはない。ただ、ホテルの外では身の安全は保証できない。といっても、もう物がないから、街に出たところで何も買えないし、人もあまりいないのが現実だよ」

 選手たちは危険を回避するために、ホテルに缶詰状態なのだという。

 そして、こうした状況にさらに追い打ちをかける発表が8月下旬に行われた。MLB機構は、マイナーも含めたMLB所属選手に対してベネズエラのウインターリーグへの参加を禁止すると決めたのだ。米トランプ政権は今年1月からベネズエラ政府に対し、米国内の資産凍結や商取引を禁じる経済制裁を科している。もちろんベネズエラ国営石油会社PDVSAも対象となるため、事実上、PDVSAからの資金で運営されている同リーグに、MLB傘下の選手は派遣できないという考えだ。つまり今季、ベネズエラのウインターリーグでプレーできるのは、MLB球団からFAとなった無所属の選手や、独立リーグの選手、米国以外の海外でプレーしている選手のみとなった。国内にも夏季にボリバルリーグというプロリーグが存在するが選手のレベルは低く、今回のMLBの発表により、ベネズエラのウインターリーグのレベル低下を危惧する声が挙がっている。

 一方、ベネズエラ人選手を抱える代理人は、こぞってメキシコ、ドミニカ共和国、プエルトリコで開催されるウインターリーグの各チームに選手の売り込みを開始した。チームにとっては、ベネズエラ人選手を安く獲得できる格好のチャンス。その裏では、他国出身の選手が契約を保留にされるなど、“とばっちり”とも言える状況が生まれている。

 ベネズエラのウインターリーグは7月、今季は開幕を例年よりも遅い11月5日とし、レギュラーシーズンの試合数を各チーム63試合から42試合に減らすと発表。だがその後、政府から開幕を10月に早めるよう、事実上命じられた。これを受け、9月上旬にはリーグのトップ2人が交代。準備期間が必要として、開幕は当初の予定通り11月5日とすることを発表するなど、リーグ内にも混乱が伺える。

 こうしたベネズエラの情勢に振り回され、中南米の野球界全体を巡る状況が目まぐるしく変化している昨今。ベネズエラの政情を見る限り、野球界への余波はまだしばらく続きそうだが、1945年創設という長い歴史を誇るベネズエラのウインターリーグの行く末は、いったいどうなってしまうのだろうか。

福岡吉央(ふくおか・よしてる)
元スポーツ紙記者。2018年冬はコロンビアのウインターリーグ、トロス・デ・シンセレホ、2019年夏はメキシカンリーグのブラボス・デ・レオンで日本人選手の通訳を務めた。中南米は計20か国を取材などで訪問したことがある。ベネズエラを最後に訪れたのは2016年。(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

© 株式会社Creative2