ヴェンゲル監督が「ガチで取りに行った」けど取れなかった11名の超大物

先日の『BeIN Sports』のインタビューで「2017年にジェイドン・サンチョを取りに行った」と明かしたアーセン・ヴェンゲル監督。

これまでも多くの若手選手を獲得しようとしてきたヴェンゲル監督。しかしその一方で様々な将来のスターを逃している。

『FourFourTwo』が特集した「ヴェンゲル監督が獲得できなかった11名のスター」をピックアップしてみよう。

ポール・ポグバ

ヴェンゲル監督は2014年、マンチェスター・ユナイテッド時代のポール・ポグバを獲得するための動きを行っていたと明かした。「興味があった。彼をここに呼び寄せようとしたが、ユヴェントスが先に契約した」

ポグバは結局そのままイタリアで大ブレイクを果たし、8900万ポンド(およそ129.5億円)でマンチェスター・ユナイテッドに戻っている。

ヤヤ・トゥレ

パトリック・ヴィエラが退団してから14年以上、アーセナルのファンはその影を追い求めている。しかし一歩何かが違っていれば、ヤヤ・トゥレがその後継者になっていたかもしれない。

彼は2003年の親善試合バーネット戦でアーセナルの練習生としてプレーしていたが、パスポートのトラブルによって加入できず。彼について、ヴェンゲル監督は「後悔したことのリストを作るとすれば、一番上に来るだろう。彼とは合意していた」と話している。

ルイス・スアレス

リヴァプールで得点を量産し大きな話題を集めていたルイス・スアレス。アーセナルは2013年の夏に彼の獲得を目指し4000万1ポンド(およそ58.2億円)で入札したが、レッズのオーナーはそれを跳ね除けた。

その後スアレスは2014年にバルセロナへと移籍。移籍金は8100万ユーロ(およそ96.9億円)で、アーセナルのものよりもかなり大きかった。

ウィリアン

アーセナルのスカウトをしていたブラジル人ダニエウ・ムサッティ氏は、2006年にウィリアンをヴェンゲル監督に推薦した。しかし…。

「デニウソンのレポートを作った後、ウィリアンの完全な資料を作成することをチーフに提案した。しかし当時は『他の選手を見ているので興味がない』と言われた。それはネット・バイアーノのことだった」

ちなみに、そのネット・バイアーノはジェフ千葉や柏レイソルにいたあのネット・バイアーノである。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

「ズラタンはオーディションを受けない」からアーセナルのトライアルを拒否した…という話が有名なイブラヒモヴィッチ。実はこれは完全な真実ではなく、当時所属していたマルメのディレクターによる助言でもあったそう。

とはいえ最終的に決断をしたのはイブラヒモヴィッチ自身であり、それ以降一度もトライアルを受けてはいないので、ここがきっかけだったともいえるが…。

ジャンルイージ・ブッフォン

彼がまだパルマにいたころ、アーセン・ヴェンゲル監督はわざわざ彼の元を尋ねてともに食事を摂った。なぜかといえば、デイヴィッド・シーマンの後釜を探さなければならなかったからだ。

しかしブッフォンは結局ユヴェントスと契約することになり、その移籍金は18年間GKの最高額記録を維持し続けた。

エンゴロ・カンテ

ヴェンゲル監督は2017年2月、エンゴロ・カンテを獲得するための動きを2度に渡って行っていたことを明かした。

「フランスにいたとき、そしてレスターにいたとき。私はカンテを獲得しようとした。すべてを説明することはできないが、どこに行ったかを見れば理由は明らかだ」とのことだ。

まあ、レスターがカーンから彼を獲得したとき、移籍金はわずか550万ポンド(およそ8億円)だったのだが…。

ディミトリ・パイェット

ウェストハムでは移籍を求めてクラブの練習を長くボイコットするなど「問題児化」したパイェットであるが、それ以前は世界でも屈指の司令塔として名を馳せていた。

ヴェンゲル監督は何度も彼をチェックしたとのことであるが、最終的には手を出さないことを選択した。それは正しかったのかもしれない。

クリスティアーノ・ロナウド

「私は彼を案内し、名前が入ったシャツも渡した。しかし最終的には2つのクラブの間での移籍金が問題となった」とヴェンゲル監督は2008年に話した。

後にリオネル・メッシと並んで世界最高の選手になった彼を獲得できなかったことは、ヴェンゲル監督にとって大きな後悔だったそう。

なお、先日の『ITV』のインタビューでクリスティアーノ・ロナウドもそれを認めており、インタビュアーからまた名前が入ったアーセナルのユニフォームを受け取っている。

リオネル・メッシ

そして、アーセナルはもうひとり世界最高の選手を逃している。セスク・ファブレガスを2003年に獲得した後、リオネル・メッシとジェラール・ピケとも契約する可能性があった。

「セスクを獲得したとき、他にもバルセロナと交渉していた。メッシやピケと。ピケはイギリスに来て、メッシはスペインに残った。彼に興味はあったが、その時点では触れられなかった」と、ヴェンゲル監督は先日明かしている。

ディディエ・ドログバ

ドログバにとって、アーセナルは15試合で13ゴールを決めた「お得意様」である。しかし、実はチェルシーではなくアーセナルでプレーする可能性もあった。

「ドログバがフランスのル・マンでプレーしているとき、私は彼を逃した。トップリーグではなかったのにだ。彼はいい選手だと分かっていたし、後にビッグゲームで何度も傷つけられたからね」

もしアーセナルにドログバが来ていたら、これほどまでにタイトルから遠ざかることもなかったかもしれない。

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