ラグビー南ア英雄のビール完成 急逝惜しみ、乾杯で追悼を

チェスターさんと談笑するピート・ゴッゲンズさん(左)=南アフリカのアサラホテル(コート-コーポレーション提供)

 6日に急逝したラグビー元南アフリカ代表のチェスター・ウィリアムズさん(享年49)は、アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃後の新生チームを象徴する存在だった。その名前を冠したクラフトビール「チェスターズIPA」の販売が、ワールドカップ(W杯)日本大会を記念して両国で始まった。明夜は横浜で南アの初戦。開発に関わったファンは願う。敵味方なく、人種の区別を超えて、乾杯しよう。

 W杯の壮行試合として、埼玉・熊谷で南アと日本がぶつかった6日。チェスターさんはケープタウンで亡くなった。心臓発作だった。

 洋酒輸入商社コートーコーポレーション(兵庫県西宮市)社長の大槻紘之さん(37)は翌朝、鳴りやまない携帯電話の呼び鈴に目を覚ました。取引先のホテルオーナー、ピート・ゴッゲンズさん(56)からだった。「チェスターが死んだ」。電話口で憔悴(しょうすい)していた。

 「まさか」。大槻さんも信じられなかった。20日のW杯開幕を記念し、チェスターさんがプロデュースした「チェスターズIPA」の輸入販売が、日本で始まったばかりだったからだ。本人が10月に来日し、東京都内の南ア大使公邸でお披露目される予定だった。

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 アパルトヘイト政策が撤廃され、ネルソン・マンデラ大統領誕生後の1995年、それまでスポーツの国際交流が禁じられていた南アは、自国開催のラグビーW杯に初出場した。チーム唯一の黒人選手として活躍したのが、チェスターさんだった。俊足のウイングは4トライを決め、初優勝に貢献した。

 チェスターさんは今月14日、ケープタウンのラグビー競技場で国葬された。初優勝当時のキャプテン、フランソワ・ピナールさん(52)が「パイオニア」とたたえたと、海外メディアは伝える。

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 人種融和の象徴で英雄視もされたが、「決しておごり高ぶらない人格者でした」と友人で南アフリカ観光局の近藤由佳さん(48)は回想する。最後のメッセージが届いたのは、死去の数日前。自身のビール片手にほほ笑む写真に、「来日が楽しみ」とつづられていた。

 ビールを考案したのは、横浜市中区のバー「ラグビーダイナーセブンオウス」の加藤丈司さん(49)だった。W杯決勝の舞台、横浜にふさわしいオリジナルビールの開発を検討していたところ、昨春に知り合ったゴッゲンズさんが引き受けた。ことし3月、試作品を受け取った加藤さんは驚いた。ラベルに憧れの人、チェスターさんが写っていた。

 マンデラ大統領の専従シェフだったゴッゲンズさんは、チェスターさんと20年来の友人。チェスターさんは、子どもたちの貧困撲滅と教育支援のための財団を運営し、ビールの売り上げの一部を寄付する約束で、プロデュースを快諾した。南ア南西部ステレンボスの醸造所で製造され、ことし7月に自らコンテナに積み込み、出荷された。

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 ホップの風味と苦味が豊かなIPA(インディア・ペールエール)ながら、「癖を抑えた軽やかな味わいに仕上がりました」とコートーコーポレーション営業部長の吉貝知佳さん(36)は評す。「柔和なチェスターのように」

 輸入はコンテナ1箱分、1万4千本の限定。セブンオウスのほか、数店で提供され、小売店でも販売されている。加藤さんは「貧困撲滅の遺志を継ぎたい」と採算を気にしていない。

 21日の初戦に相まみえるのは、95年W杯の決勝で打ち破ったニュージーランド。マンデラ大統領がピナールさんに優勝トロフィーを手渡した瞬間、スローガンだった「ワンチーム、ワンカントリー」の結実を想起させる相手だ。

 往時をしのび、ゴッゲンズさんは「こう唱和し、追悼してほしい」と日本のファンに求める。「チェスターに乾杯」

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