混迷 石木ダム 用地収用・2 <空手形> 「最初からだますつもり」

©株式会社長崎新聞社

「建設は地元と同意の上で着手する」する旨の県との覚書の写しに目を落とす岩本さん=川棚町岩屋郷

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの建設予定地に暮らす岩本宏之(74)は、古いファイルから書類を取り出し、目を落とした。1972年、県がダム建設の予備調査の同意を得るために、地元3地区と交わした「覚書」。「乙(県)が調査の結果、建設の必要が生じたときは、あらためて甲(地元3地区)と協議の上、書面による同意を受けた後、着手する」-と記されている。
 だが半世紀近くたった今、覚書は事実上の“空手形”となっている。3地区の一つ川原(こうばる)地区の13世帯は、土地収用法に基づく県側の手続きで今月、宅地を含む土地の所有権を失った。「行政が堂々と約束を破っていいのか」。岩本は吐き捨てる。
 川原で生まれ育った岩本が初めてダム計画を耳にしたのは62年。高校生だった当時、県が業者に委託した現地の測量をアルバイトで手伝った。その後、町が無断の測量に抗議し、中止になったという。
 その約10年後、県は正式にダム建設に向けた予備調査を町と地元3地区に申し入れた。「覚書」はこの時期に交わされたものだ。3地区は「県が覚書の精神に反し、独断専行あるいは強制執行などの行為に出た場合は、(町は)総力を挙げて反対し、作業を阻止する」とした覚書を町とも結んだ。
 ところが予備調査の結果、県は「建設可能」と判断すると計画を推し進め、75年には国が事業採択した。不信感を募らせた地元住民は反対運動を本格化。79年6月には当時の知事、久保勘一が現地を訪れ、住民の説得に当たった。県がまとめた談話によれば「決してなし崩しにできません。全部の話がつかなければ前進しないんですから」と発言している。
 だが82年、久保の後継で知事に就任した高田勇が強制測量に踏み切り、住民との亀裂が決定的になった。岩本は「地元を無視して強行に物事を進め、過去の約束も平気でほごにする。県の態度は最初からずっと変わらない」とため息をつく。今月19日、約5年ぶりに実現した中村法道知事との面会で覚書の有効性をただしたが、中村は「(係争中の)訴訟の場で明らかになると思う」と述べるにとどめた。「最初からだますつもりだった。あの時、予備調査を受け入れなければ…」。土地の権利を失った今、そう言って悔やむ。
=文中敬称略=