薄れる歴史文化を継承 横須賀・中里神社「俳額」に説明板

説明板を設置した「三浦郡豊島町をもっとよく知る会」のメンバー=中里神社

 中里神社(横須賀市上町1丁目)に大正時代に奉納された「俳額」の説明板が20日、神社境内に新たに設置された。軒下で風雨にさらされて判読できなくなった内容を、市民グループ「三浦郡豊島町をもっとよく知る会」が自分たちが調べて残した資料を基に紹介。同会は「自分の住むまちの文化と歴史を伝えることは、より良いまちづくりには大切」と話している。

 俳額は、俳句を板などに書き、額にして寺社へ奉納するもの。中里神社へは、1922(大正11)年に奉納された。横須賀で暮らした俳人・松竹庵梅月やその門弟らの作品66句が記されている。今も軒下に飾られているが、その内容を判読するのは難しい状態だ。

 一方、同会は81年、市立豊島小学校(同3丁目)の校名の由来になった旧豊島町の歴史を学ぶため、同校のPTA活動で知り合った母親らが立ち上げた。

 俳額についても、87年に調査。その内容を資料に残していた。今や判読できない奉納品に記された、地域のかつての文化活動の一端を次世代に継承するため、今回資料を基に、毎月の会費の積み立てを崩し、説明板を作製。奉納俳額の由来や66句に加え、06(明治39)年に旧横須賀町と合併した旧豊島町の歴史も記した。

 同会代表の富澤喜美枝さんは「歴史を掘り起こして共有することは大事」と説き、「まち歩きの際にでも、多くの人に見てもらいたい」と期待している。

© 株式会社神奈川新聞社