我々にとっては思い出したくないドーハの悲劇ですが、この体験を経て日本サッカーは大きな成長を遂げました。
ドーハの悲劇とは、1994年アメリカワールドカップ出場にむけて、アジア地区最終予選で行われた日本対イラクの試合を指します。
なぜ悲劇と称されるような試合だったのか、振り返ってみたいと思います。
日本対イラクの試合は最終予選の中でも最終節に位置し、この試合の結果によってワールドカップの出場が左右される大きな場面でした。
この試合が始まるまでの順位表は以下の通り。
1. 日本
2. サウジアラビア
3. 韓国
4. イラク
5. イラン
6. 北朝鮮
上位2チームがワールドカップへの切符を手にします。
細かい勝ち点差はここでは省略しますが、最終節を残して1位と、まさに目の前まで悲願のワールドカップ初出場が迫ってきている段階でした。
ワールドカップ初出場がせまるも・・・・
最終節の日本対イラク。またこの試合と同時間に、サウジアラビア対イラン、韓国対北朝鮮もキックオフ。
開始5分と早い時間に三浦知良のシュートによって先制、その後追いつかれるも中山雅史の勝ち越し弾によって2-1と、日本が優位の状況。
このまま試合を進めれば日本が勝利し、ワールドカップに行けると誰もが思っていました。
日本にとっての悪夢はここからーーー
実況者の声色も一段と高まる中、試合終了間際のロスタイムに悲劇が起こります。
イラクのショートコーナーから、ふわりと浮き上がったクロスをヘディング。そのボールはキーパーの頭上を越えてゴールの中へと入っていきました。
失点と同時に、失意に暮れる日本の選手達。もう彼らに反撃の力は残っておらず、戦いの終了を告げるホイッスルが鳴り響きました。
試合終了ーーー
最終節を終えての順位は以下の通り。
1. サウジアラビア
2. 韓国
3. 日本
4. イラク
5. イラン
6. 北朝鮮
1位だった日本が、1試合によって3位へと転落。
試合前の興奮から一転、一夜にして日本は奈落の底に突き落とされたのです。
この試合こそが、今でも語り継がれる日本にとって一番悔やまれた「ドーハの悲劇」なのです。
ドーハの悲劇を糧に、今の日本サッカーがある
日本にとって思い出したくない過去であるのは事実ですが、このドーハの悲劇を経て、日本サッカーは目覚ましい成長を遂げます。
今ではワールドカップ出場の常連国となり、アジアでは常に優勝候補の一角。
短い期間でここまで結果を残すことが出来たのは、ドーハの悲劇を二度と起こしたくないという強い思いから、絶え間なく日本サッカーを発展させてきた努力の賜物でしょう。
世代は変わろうとも、日本代表のユニホームに遺された熱い歴史は忘れられることはありません。
これからも日本サッカー界が大きく飛躍していくことを願ってやみません。