デヴィッド・ボウイがイギー・ポップに差し伸べた少年ジャンプ的精神!? 1984年 9月24日 デヴィッド・ボウイのアルバム「トゥナイト」が英国でリリースされた日

デヴィッド・ボウイの没後、リリースが開始された、そのキャリアをたどる BOX セットシリーズ。この第4弾『ラヴィング・ジ・エイリアン』は1980年代中期の音源がまとめられている。

この時代はセールスの点で、もっとも華々しい成功を収めた時期だ。が、“正しいボウイファン” は、この時期のアルバムを褒めるのはためらわれるようで、「売れ線に走りやがって…」というのがその筋の見方。ボウイ自身も駄作であることを認めているアルバムばかりだから、それも致し方ない。

とはいえ、80年代にボウイに目覚めた Re:minder 世代には、どうもスッキリしない。後追いで知った70年代のアルバムは確かにどれも素晴らしいし、かなわん… というのも理解できるが、それでもリアルタイムで聴いたものは弁護しておきたい。というワケで、BOXにも納められているアルバム『トゥナイト』の話を。

1984年9月、『トゥナイト』リリース。前作『レッツ・ダンス』を聴きまくった当時高校3年の自分は、当然のように発売日にレコ屋でアルバムをゲットした。前作からわずか17か月後のリリースという点に一抹の不安を感じてはいたものの、それよりも “聴きたい” 欲が勝り、それは田舎の高校生を満足させた。化粧品の CM に使用された第一弾シングル「ブルー・ジーン」をテレビで耳にすると、お茶の間へのボウイの浸透に嬉しくなったものだ。

1曲目の「ネイバーフッド・スレット」でガツンときて「ブルー・ジーン」を挟み、「タンブル・アンド・トゥワール」の軽くスウィングするような空気を経て、ラストの「ダンシング・ウィズ・ザ・ビッグ・ボーイズ」で全部出し切る感。正直に言うと、最初は活気のないA面よりもB面の方が好きだった。

何よりも大きかったのは、ここで初めてイギー・ポップという存在を意識するようになったこと。前作に収録されていた「チャイナ・ガール」はボウイが元々イギーに提供した曲のセルフカバーである… といった程度の知識はあったが、このアルバムではそれ以上に大きな存在だ。9曲中、5曲にイギーの作曲クレジットがあるし、最後の曲ではボウイとデュエットし、低音の渋い声を聴かせてくれる。この冗談みたいな名前の人は、いったい何者なのだろうと、高校生の心は大いに刺激された。

この時期のボウイは多忙で作曲の時間がとれず、このアルバムでは2曲を除いてカバーか共作しかなかった。その共作者として名を連ねたイギーは、当時はキャリアの低迷期。ボウイがこのアルバムをつくった理由のひとつに、そんな親友に手を差し伸べることがあったという。そして『トゥナイト』は全英でナンバーワンを獲得。まさに “友情・努力・勝利” というジャンプ的精神!? 頭の悪い高校生にもわかる、いい話じゃないか。

このタッグはさらに続き、1986年イギーはボウイのプロデュースの下、アルバム『ブラー・ブラー・ブラー』を制作。これによりヒットチャートに返り咲くことに成功する。

1970年代のグラムロック期や、ベルリン時代に、すでにボウイがイギーに救いの手を差し伸べていたのは、あとになって知ること。とにかく『トゥナイト』は、エキセントリックなロックンロールの世界にも、熱いものがあることを教えてくれた。同時にイギー・ポップという、とてつもない才人の存在も。

最後に、もうひとつ弁護を。このアルバムからの3枚目のシングルとなったA面1曲目の「ラヴィング・ジ・エイリアン」は70年代の名曲を後追いしてから聴いても、すごくいい曲だ。“汝の異邦人を愛せよ” というフレーズは、今の時代にも合っている。BOX のタイトルとなったのも納得。

※2018年10月13日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: ソウママナブ

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